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相対的な幸せはいつか不幸せになる話

あけましておめでとうございます。(遅い)
久しぶりの更新です。(最近毎回言ってる)

最近もずっと仕事してます。
でも、普通に生きてたらあまり経験をしないようなことがあったりして、その中で何とか自分の選んだ選択肢が正解になるように、もがきながら生きてます。

あの人は普通の人生を生きていそうで、羨ましい、私と代わってほしい。
そんなこと思うのはここ最近滅多にないくらい、頻度が減った。
きっと私のマインドは、良い方向に向かってるんだと思う。
そんな中で、先月、あのニュースを見た。

私が知ってる彼女は、星の数ほどいる著名人のうちの1人だった。
認識があるといえば、自分の好きな映画の主役の声をやってるってくらい。
それでもその人が亡くなったのは大きなショックだった。
ご両親が報道陣の前で遺骨を抱えて、声も絶え絶えにコメントを残すさまを見て、本当に胸が痛くなった。先に逝ってしまった人、取り残された人、どちらも、想像もできないほどの苦しみがあったんだろう。

彼女は、とても可愛いと思う。歌も上手いと思った。お芝居は見たことないけど、声優の演技は全然違和感なかったし、私はそのキャラクターも作品も大好きだ。ご両親がご両親だから、まず金銭的に困ることはないだろうから、食事や学業は一流にものに触れられたと思うし、仕事だって望めば口利きをしてもらえる環境だったと思う。
だけどどうして、自分で生涯を閉ざしてしまったんだろう。

私の母は、シングルマザーだ。お金さえあれば幸せになれるといつも口に出して言う。
「うちは貧乏だから」とよく言っている。私も「うちは貧乏なんだ」と思っていた。
けどよくよく考えてみたら、ありがたいことに食事は3食食べれたし、(それは母が働いてくれたおかげなのだけど)きれいじゃないけどマンションに住めている。
母も好きなタバコと酒は毎日欠かさず摂取しているし、私もたまには好きな映画を観に行けている。我慢がないわけでは全くないけど、「別に貧乏じゃなくね?むしろ貧乏でもいんじゃね?」とさえ、私は思っている。そしてそれを母に言ったこともある。けれど母は頑なに、「そんなのは幸せじゃない」と言って聞かない。高級車のCMを見れば「お金持ちになったらこの車を2台買おう」。ちなみに母は運転免許もなければ車に興味が全くない。住みたい場所は都市部が良い。理由を聞くと、「他人はそういうところで人を判断するんだよ」と言っていた。

・・・何だか書いてるこっちが不憫な気持ちになってきた。母はいつも、不幸せそうにしている。けどそれは本当に、お金がないからなのだろうか。

人と比べればキリがない。
けど自分の中に絶対的な基準があれば、それだけで幸せになれる、と思ってる。
ちなみに私の幸せ基準は、「美味しいご飯が食べられること」。
この基準を下回る食事は、年に1回もない。幸か不幸か(この流れで行くと幸って言い切るべき?笑)バカ舌なので、ある程度以上であれば美味しいと感じる。だから私は、ありがたいことにいつも幸せだ。そしてできるだけ、私はご飯を食べる時に、大げさに「美味しい」と言う。周りの人が「大げさだ」と笑う。作ってくれる人は「嬉しい」と笑ってくれる。私はそれが嬉しい。大げさに言ったところで、別に本当のことを言ってるだけだ。マジで美味しいし。嘘はついてない。これくらいのことでみんなが笑ってくれるなら、大げさに言ったほうがいい。

・・・とはいえ、24時間365日そんなマインドいられるかと言えば、そうではない。

仕事で成功している同い年の女性を見たり、何かに夢中になってキラキラしている人たちを見ると、とても苦しい気持ちになり、消えてしまいたくなってしまう。私の中には何もない、私は価値がない・・心の中にある大きな、虚しい穴を見ざるをえなくなってしまう。けれどその穴としっかり対峙して、他人の力ではなく、自分の力で埋めるようにならないと、きっと自分も周りの人も幸せにできないんだろうなと、寧ろ傷つけてしまうんだろうなと、何となく感じている。対峙し続けるのはとても苦しいから、周りの力も上手に借りながら、埋めていかないといけない。
うーん、頭で理解できるのと、実行するのって、どうしてこんなに差があるんだろうね。言うは容易く、行うは難し。

1人でも多くの人が、絶対的な幸せを見つけられるように。私を含め、人と比べて、落ち込む人が減りますように。明るい世界になりますように。
そんな願いを込めて、私は今日も美味しいご飯を食べて、「美味しい」と大げさにリアクションします。あー、おなかすいた。キムチ食べたい。(キムチかよ)

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