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自分を発達障害だと決めつけ過ぎるとどうなるか

今年は例年よりも早い梅雨入りになった。人によっては、低気圧が続くので体調不良になる方もいると思う。

私は特性のおかげか、小さい頃から疲れやすいけど、低気圧の影響はあんまり受けたことがない。台風の日でも普通に仕事できるし、なんなら雨の日はその雨音と匂いに癒やされたりしている。

発達障害の低気圧による影響はどうなんだろうな、と考えてみたけど、やっぱりやめた。「発達障害」というカテゴリーで考えすぎると、自分がその特徴を持っていなくても、本当にそうなってしまいそうだからだ。


発達障害の診断を受けたのは今年の3月のあたまだった。ADHD気質である上司から、「なつおちゃんはアスペルガーじゃないか」と言われた。もちろん上司に悪気はなく、なかなか仕事で結果を出せない私に対しての優しさから、建設的にアドバイスをしてくれたものだった。


その後すぐ、YouTubeやネットでアスペルガーのことについて調べた。そうすると、まあ出るわ出るわ、その情報の数。詳細な内容はここでは省くけれど、当てはまるものばかり。バーナム効果はあるかもしれないけど、首がもげるほど頷きまくった。「これ、アスペルガーの説明っていうか、私の説明じゃね?」とさえ思った。


そして数日後、心療内科を受診すると、まんまと発達障害だと診断された。ADHDとASDのハイブリッドだった。割合は50:50くらいらしい。おめでとうございます、立派な発達障害です。(※先生はそんな言い方はしてません)

ああ、そうか、やっぱりそうなんだな、と、ほっとしたような、悲しいような、切ないような、そんな複雑な気持ちになった。


たくさん当てはまる症状はあるんだけれど、特に私が困っているのが、

・コミュニケーションエラー

・強い恐怖感

この2つだった。


特に、私は仕事で会話の齟齬をよく起こした。相手の意図をずれて受け取ったり、空気や話の流れを読めずに、自分が聞きたいことを先行して聞いてしまったりした。しかも輪をかけて、発達障害の中でも、自他共に認める内向型だった。話すのも好きではない。齟齬を起こしては強い恐怖感でネガティブを自分の中に生み出し、落ち込んでしまう。


こんな具合なので、余談だけれど、今じゃ悲しいかな、事務所から出るな、人としゃべるなと言われている。笑えないけど笑うしかない。ハハッ。でも、きっとこうした方が、自分にとっても会社にとってもいいことなのだ、他の場で結果を出せばいいのだ、と思っている。


話が逸れた。

そんなこんなで、私はよく悩んでいた。しかも発達障害と心療内科の先生からお墨付きを頂いたのだから、私は自分のことを、「圧倒的なコミュニケーション超絶エラー爆誕マシーンだ」と思ってしまった。


そうなるとどうなるか。

今まで何の気にも留めなかった会話ができなくなったのだ。


病院に行ったときのこと。通常の流れだと、まずは受付に行き、診察券を出す。そして、受付のお姉さんに、「今日はご予約ですか?」と聞かれる。いつもの答えは「はい。何時に予約をしていたなつおです」。

けどそのときは、「あれ?ご予約・・ご予約って診察の予約のことだよね?私の受取方ってあってる?大丈夫かな?私はなんて答えたらいいんだろう?迷惑をかけるかもしれない。あれ・・・」と言った具合で、答えるまでの1秒間、頭が質問と不安でいっぱいになった。

なんとか、「は、はい。よ、予約しました。・・に、にじ、・・じゅ、14時です。」と挙動不審で答えたものの、そのあとの会話のキャッチボールが怖かった。なんなら受付のお姉さんが怖かった。変なことを私が言ってしまうかもしれない。私の受取方が間違ってるかもしれない。「私が発達障害だから」。そんな思いで頭がいっぱいになった。


家に帰ったあと、冷静になって考えて、これはいかんなと思った。今までできたことができなくなった、と。明らかに自分が自分に、「呪い」をかけてしまったのだと思った。


呪い、というのは、もちろん、発達障害そのものことじゃない。

書籍の「陰陽師」の一節にある、安倍晴明の「呪い」の話を知っている人はいるだろうか。安倍晴明と、彼の弟子だか何だかの(適当)会話で、こんな内容のことが記されているらしい。

「あそこに花が咲いている。あれに【藤】という名前をつけると、みんながあれを【藤】と呼ぶ。そうするとあの花は、【藤】になる。それが、最も身近な呪いだ」

前に、その一節を知ったときには、安倍晴明ってあったまいー☆、と頭の悪いコメントを思わず口に出してしまったけれど、これは自分自身でも当てはまるんだな、とその時気づいた。言い聞かせ続けると、本当にそうなってしまう。


私=発達障害、じゃない。私の中に、発達障害はある。そこには強みも弱みもあって、弱点を補ったりその加減・程度を減らすことはもちろん重要だけれど、それは私の全てじゃない。あくまで、私の一部分だ。そう気づいてからは、気負うことは減った。


逆にね。

言い聞かせ続けるとそうなるなら、逆にポジティブなことを言い聞かせ続ければ、そうもなれるということだよね。


人生はいつでも考え方次第なのだな、と雨音を聴きながら、自戒した。

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