【愛するサッカーをするために】 4年 河原地亮太
日本体育大学サッカー部の今年からの試みの一つであるnote、第6回目を担当するのは、体育学部体育学科4年の河原地亮太です。
皆さんは目の前の壁をどう乗り越えていきますか?
壁が大きすぎて押しつぶされそうになり、腐りそうになったことはないですか?
僕は今回、怪我を通して感じたこと、思ったことを素直に伝えていこうと思う。
2019年8月27日に怪我をしてしまい、僕は外側半月板損傷で全治6ヶ月の診断を受けた。
僕は常にポジティブに考えて21年間過ごしてきた。そんな僕であったが、度重なる怪我で精神的に腐りそうになり、逃げだしたくなったこともたくさんあった。怪我をした瞬間は目の前が真っ白になった。サッカーができるのは半年後と考えると先が長く、どう乗り越えていこうか不安になる。
手術前は何も考えることができなかったが、手術後は大好きなサッカーをすることだけを考えようと思ってリハビリに取り組んだ。
しかし、リハビリが4ヶ月を経過しようとしたときに、膝に違和感を感じ、力が入らないようになった。
検査をすると、1回目に半月板を怪我した時と違うところが損傷してしまい、再び手術を受けることになってしまった…
この診断を言われたとき、失意、絶望感に僕は襲われた。かなり落ち込み、どん底に落とされたような気分だった。孤独感があり、何で自分だけこうなるんだろう、ほんとに復帰できるのか、などの色々な感情がこみ上げてきた。
グランドにも正直行きたくなかった。
なぜなら、周りがどんどん上手くなっていくのを見たくなかったし、自分が怪我でプレーできていないということが1番悔しかったからである。
そんな時、助けになったのが家族、友人、今までお世話になった指導者や日体大のスタッフであった。
辛い時に励ましの言葉をくれたり、何度もお見舞いに来てくれたり、何よりまた一緒にサッカーがしたいと言われたことが1番嬉しかった。
支えになってくれる人がいなかったら、心が壊れてしまっていたと思う。
だから、支えてくれた人はもちろん、手術をしてくださったお医者さんや、リハビリを毎回のように見てくださってる方々のためにも、また一から頑張ろうと思うことができた。こんな経験をできるのは自分しかいないので、誰よりもパワーアップしてチームに戻ろうと心に決めた。
怪我をしていても誰にも負けたくない
という気持ちは常にある。
復帰して活躍している自分や強くなった自分を実現できるのは自分だけなので、今は常に前向きにリハビリを行なっている。
リハビリを頑張ったら、どんな自分になっているのか、復帰後の自分が今は凄く楽しみである。
毎日あるものが急になくなり、サッカーが自分にとってどれだけ大切であるか怪我を通して実感することができた。
サッカーを当たり前のように出来る有り難さを改めて感じることができたことは自分にとって良かったと思う。
僕はまだ大学に来て、何も残せていない。
大学生活残り1年、誰よりも強い覚悟を持って、今までの想いを全てぶつけていきたい。
必ずチームに必要とされる選手になる。
そして、夢を実現させる。
サッカーができる有り難さや自分に関わってくれている人への感謝を忘れずに、大きな希望を持ってこれからの日々過ごしていこうと思う。
僕はこれからどんなに高い壁が現れても、何度でも粘り強く立ち上がる。
まとまりがない文章ではありましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
今年は今までで1番強い日体大を作り上げます。
日体大サッカー部の応援を皆さんよろしくお願いします。
名前:河原地 亮太 (カワラジ リョウタ)
学年:4年
学部:体育学部体育学科
経歴:横浜FM・JY(荏原第一中学校) → 横浜FM・Y(田園調布高校)