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【少し早めのスタート】3年 石川雅人

❇︎読んでくれる方へ

長い文ですが、お付き合いのほどを。
興味ない方は飛ばし読みでも、少しでも読んで頂ければ不幸中の幸いきわまりないです。
最低でも現段階での自分の考えや、今後に対する意気込みぐらいは理解してくれると嬉しいです。
簡潔にまとめるor長くする→簡潔にまとめられないので長くするを選びました。


第一章 【怪我から選手引退の決意まで】
第二章 【支える側の人間としての今後の抱負】

第一章 【怪我から選手引退の決意まで】

初めまして!!
3年の石川 雅人です。
現在学生コーチとして活動しながら、分析と副務という役職に就いて活動もしています!!

2年生までは選手そして分析をしながら活動をしていました。

ですが、どうしても選手として活動していくことが難しくなってしまったのです。
大学4年間は選手としてやりきろうと思っていた自分にとっては正直ショックでした。

どうして?????

"外傷性くも膜下出血"


は? へ? なにそれ?
と思った方々にどういう経緯でこうなったか軽く説明します。

2019年4月下旬朝練の時間帯にボールが側頭部に当たって起こった悲劇です。
「ボール当たっただけでこんなことになるの?」
と思った方々もいると思いますが、自分も同様に考えました。
威力も全然強くなくて、周りの人が見ていても、自分でも大したことないと確信できるほどでした。

当たった時は、ただ当たっただけで笑いながら、
「大丈夫大丈夫!!」と言いコートの外に出ました。
日中の授業もいつも通り受けてました。

異変を感じたのはその日の午後練からです。
坂ダッシュをしている時、いつも以上の息切れ・めまい・吐き気が襲ってきたのです。

「あ、朝練の影響で脳震盪がちゃんときてるのかな」と思い、以降のトレーニングは休みました。カテゴリーのコーチにも直接話し、次の日の朝練を休ませてもらいました。
「ただの脳震盪だろ。少し安静にしてればなんともないだろ」と思っていました。

次の日朝練だけ休み、授業だけはいつも通り受けにいきました。
朝家を出てから異変に気づく。。。
「ん??ぼやけてる。・・・まだ焦点合ってないだけか。」
よくあることだと思い目をこすって学校に向かいました。
いつもならちゃんと見えるはずの電光掲示板が見えない。なんかボヤッとしている感覚です。
何度も目をこすりました。コンタクトずれました。
学校に到着し、授業を受ける。
ここでも違和感を感じずにはいられません。
「ん??ボードに書かれている字が見えねーぞ。
ぼやけてんぞ??まだか??コンタクト落ちたか?」
少しずつ怖くなってきました。
そんな感覚を持ちながら、午後練も休ませてもらいました。

翌日、さすがに何か問題でもあったら怖かったので親と相談し、学校帰り病院に向かいました。

すると、医師からこんなことを言われたのです。

「左側頭部に出血の痕が見られるね。」

・・・は???へ???

「ここに白くなっているのがあるでしょ?普通こんなところ白くならないんだよ。おそらく出血しているんじゃないかと考えられる。」

・・・おぉ、、、すげえ。。。

・・・マジか。笑

・・・いや、あんなんで??笑笑

と、診断されたのです。それが

"外傷性くも膜下出血"

ありゃりゃ。。。

大学病院に移り、先生と色々相談しながら、セカンドインパクトのリスクなどその他競技のガイドラインを示され、
もし、今後競技者としてプロなどの高みを目指していないのであれば、諦める必要があるとの旨を言われ、
復帰を目指しながら、半ば引退を考えていました。
とりあえずは、半年は激しい運動などは禁止。と。

11月頃恐る恐る復帰。プレーしてダメだったら辞めようと。そんな感覚でやってみることにしました。

自分も怯えていました。周りも怯えていました。
ヘディングするとみんなが心配しました。
みなと同じトレーニングをこなすと、トレーニング後に必ず頭が痛くなりました。
「後遺症キツっ」

1ヶ月半後紅白戦がありました。復帰後初めての試合でした。
「楽しもう!!!」そんな気持ちで望みました。


・・
・・・
開始して13分後、相手の蹴ったボールが至近距離で顔面に直撃。

自分の怪我を知っている人はみんな凍りついたのではないかと思います。
心配してくれました。

このときに悟りました。
「あ、もうこれは続けちゃいけないんだ。」
この時だけは神様でもおるんかなと思いました。

自分も怯えて全力でできていない。元々動けない人間なのに、さらに動けない。
周りもリスクを感じ、心配をし続けている。
復帰後初めての実戦でボールが顔面に直撃する。

「やっちゃいけないんだな。こりゃ周りに迷惑だわ。」と確信しました。

ここではもう吹っ切ることができました。

大学4年間はプレイヤーとして下手でも続けたかったけど、そんなこと言ってられないなと。
「元々指導者目指してるんだから、いいじゃないか!!少し予定よりも早いスタートになっただけだよ!!」
そう言い聞かせていると前向きになれました。

残りほぼ少ない期間であったので2年次までは選手としてやりきり、
3年生になったら同時に学生コーチとして活動しようと、決意しました。

第二章 【支える側の人間としての今後の抱負】

2年次の夏(頭の怪我で何もできていない時期)、Aチームの10日間に及ぶ大阪遠征にプレイヤーではなく、裏方として帯同させてもらいました。
プレー分析も含め、"スポーツを支える側の人間"として自分の能力では抱えきれないほどの仕事をさせてもらいました。
3時間しか寝れない日が続いたり、遠征期間中はとてもハードで、多少の孤独感や、慣れないことばかりでとにかく大変で、選手や監督、コーチには迷惑をかけてばかりでしたが、帰ってきて思い返すと、とてもやりがいがあり、充実していたことに気づきました。

「やっぱり、支える側の仕事めちゃくちゃ好きかも。」

あの場での経験というのは大変大きなもので、間違いなく今後の支える側としての活動に活きてくるものになると確信しています。

あそこでの経験を自分の基準値とし今後の活動では常にその基準値を超え続けられるよう努力していかなければならないなと思っています。

幸いにも自分はこの日体大サッカー部に所属し、やれること、挑戦してみたいことを思いっきりやることは、チームに対して少なからず貢献するであろうことになりながらも、この部で培われた経験や能力が卒業後にも必ず活かされると気付くことができました。
それは昨年怪我をして以降色々な出会いがあり、経験があり、自分のなりたい姿などをぼんやりとではなく、少しずつ形として見つめることができたからだと思ってます。

今我々は学生主体である組織をより明確なものにしていくため、0から1を作り上げているところです。
そんな初期段階にある組織の中の1人としていられることを嬉しく思っています。
そんな自分は初めから組織の一員として、

「日体大サッカー部にたくさん貢献していくぞ!!」

という気持ちがあったわけではありません・・・

1年生の時、自分は完全に日体大サッカー部という組織の外側にいたと思います。
というか、いました。
入学前のイメージではもっと自分の考えていた通りの部活動そして、それを含めた大学生生活になっていました。
しかし、実際に入部すると自分達が入学した年から色々な変化があり、自分が入学前にイメージしていたものとは大きくかけはなれており、大きなギャップが発生します。自分にとっては大問題でした。
【理想】と【現実】の差があまりにも大きすぎて、受け入れきれなかったのです。
自分の想像を超えるハードな日々に頭を抱えました。
自分がここにいる理由など何度も考えました。

「嫌だなあ、きついなあ、なんか違うなあ」

と思うことも当然ありました。
そんなこんなで負の思考を続けながらも1年間を過ごしてきたと思います。
2年になる時、

「今年こそは今まで以上に充実した年にさせるぞ。そのためには積極的な行動が必要になる」と考えていました。

Instagramでもそんな投稿をした記憶があります。
(以前のアカウントで)
2年になると、新たに役職がというものが部でできあがりました。その中に分析部があったのです。

「自分は将来指導者になりたい。そのためにサッカーをより深く幅広く知るためにもここで分析部として活動できれば、何かしら吸収できるし、将来に少しは役立つんじゃないか。」

初めは自分本意な考えで参加することにしました。
そこから考え方は少しずつ変わっていきました。
変わったきっかけなどを話していくと、とんでもなくながくなってしまうので、さすがに省きますが・・・
他のカテゴリーの選手との関わり、組織の外側にいた人間が内側のことを少しずつ知っていくことによる考えの変化など、1年の頃と比較すると自分の考えは大きく変わっており、自分の立ち位置も大きく変わっていました。大きく外側にいた者が、ほぼ中心に寄っていました。

【自分にとっては勇気ある1歩】

でした。
そんな1歩が踏み出せたおかげで自分は今ここにいると思います。
行動することの大切さ、勇気を出して足を踏み入れてみることの重要さを学べた気がしてます。

挑戦したいけど中々踏み出せない人、踏み出せない理由は様々あると思います。ですが、思い切って踏み出してみるのはどうですか?大きなことでも小さなことでも。
時間を惜しまず、初めはしんどくてもいつかそれが自分のものになり、日常の中に当たり前なこととして組み込まれていくと思います。そしたら、それが普通になると思います。

自分の大学生活の経験から何かをアドバイスするとしたら、こんなことが言えるかなと思いました。
大学生活でこのような経験をできたのは遅かれ早かれ良かったなと思ってます。

こういった経緯で今自分はここにいます。
今このような立場で活動することになって全く後悔はしていませんし、むしろ、前向きで楽しみなことがたくさんあります。
怪我のことなんて悔やんでも悔やみきれません。
だから、受け入れ開き直りました。時間のおかげもあるでしょうけど。

3年から始める学生コーチを選手のみなさんが受け入れてくれるかどうかはわかりません。
まだ、日体大サッカー部の選手達にちゃんとした指導をしたことはありませんが、今後指導するようになった時、選手全員が自分の言うことを受け入れてくれる選手は多くないはずです。
むしろ受け入れることが難しく、不満に思うことが必ずたくさんあるはずです。
そんなことは自分が受け入れています。
そんな状況だとしても、選手1人1人の競技力向上をサポートするため出来る限りのことは行い、いつか認められる存在になればなと思います。
それが自分の今後のためにもなるはずだと思っています。

分析活動では、分析部の皆んなと昨シーズンよりも【はるかに高いクオリティの資料や映像】を提供していきます。
毎試合の勝利のために昨シーズンよりも【圧倒的な情報】で貢献できればなと思っています。

副務としての立場では、新たな組織活動に立ち上げから参加できることに感謝し、日体大サッカー部のために労を惜しまず、時間を惜しまず、どんなことでもチャレンジし、力を合わせ、自分の成長と共に発展に貢献していくつもりです。

今シーズンは過去に例を見ないシーズンとなりますが、関東リーグやIリーグなどが再開に向けて少しずつ前進しています。
ちょっとずつではありますが、全進し進化し続ける日体大サッカー部を応援してくれると嬉しいです。
これからもよろしくお願いします!!

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名前:石川 雅人 (イシカワ マサト)
学年:3年
学部:体育学部体育学科
経歴:南が丘中学校 → 座間高校