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【I walk slowly, but I never walk backward.】3年 若松玲児

皆さん、こんにちは!!
今回部員ブログを担当することになりました。日本体育大学男子学友会サッカー部3年の若松玲児です。
「誰!?」って思った人も多いと思います。そんな皆さんに少しだけ自分のことについて話していこうと思います。ダラダラと長ーーーい文章になってしまったので、お時間ある人はお付き合い頂けると幸いです。きっとみんなstay homeしてるから読んでくれるはず!きっと!!!

私は日本で1番最高な都道府県である鹿児島県の出身です。
皆さん鹿児島県知ってますか???
「え?鹿児島は田舎じゃん!」とか「畑と田んぼしかなくね?スタバあんの?」とか、意味わからないこと話してくる日体大生多いのは置いといて.....
知らない人は人生半分くらい損してるので、とりあえず1回鹿児島県行ってきてください!

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そんな田舎生まれ田舎育ちの私がサッカーを始めたのは小学校1年の時。もう14年前かぁ...
野球をやりたかったけど、小学校に野球チームが無いからなんとなく始めたのがサッカーでした。
小学生時代のサッカーの思い出といえば4年生〜6年生までの3年間、ほぼ毎日朝5時半に起きて、玖児と2人で家の前の田んぼ道で自主練してたことが1番の想い出ですね。
「ん?玖児って誰?」
失礼致しました。紹介しますね。玖児は私の双子の兄です。ちょっと抜けてるけど最高にイケメンなMy Brotherでございます。今はこの国の秩序と平和を守り、我々一般市民を様々な悪から守ってくれています。最高にイケてるでしょ?見た目も中身も最高なやつなんですよ!!(彼女募集中らしい)

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おっと、脱線失礼!これから先も度々脱線の恐れがあるのでご注意を!!

小学生時代の話でしたね!
小学生の頃はボールを追いかけるのが好きで何となくサッカーを続けていました。周りのみんなが「プロになりたい!」って言ってるから自分も合わせて「プロになりたい!」とか言ってました。そんな小学生でした。本当はこの頃から変わらず「教員」を目指しているんですけどね!
そして、中学に進み、中学校の部活に入部。クラブチームに入るなんて考えたこともありませんでした(笑)

日体大のみんなは有名高校とかJユース出身のエリートが多いけど、私は普通の中学校の部活→普通の高校のサッカー部という、本当に一般的な「サッカーのある生活」を送ってきました。

そんな至って普通の私には1つだけ後悔があります。それは高校サッカーを全力でやり切れなかったことです。手を抜いてサッカーをやっていたわけじゃないし、適当にやっていたわけじゃない。それでも、高校で辞めようと思っていたサッカーを不完全燃焼な形で終わらせてしまった。だから、自分の中に凄くもどかしさが残りました。「こんな形でサッカー終わってもいいのか?」「もっと高いレベルに挑戦してみたくないか?」何度も自問自答しました。

私みたいに普通の高校出身で、大した結果も残していない選手が関東リーグに所属する大学に行くなんて想像もしていませんでした。
夢のまた夢の話でした。
しかし、幸運なことに私の代の監督さんが、なんと、鹿屋体育大学サッカー部の創始者である井上尚武先生でした。(元ユニバーシアード日本代表監督)
今思うと本当に私は運が良かったと思います。井上先生に巡り会うまでの経緯を話すと、とんでもない時間がかかるので省略しますね!気になる人は私のInstagramやTwitterをフォローしてDMを送ってきてください。個別でお話しようと思います(笑)

井上先生に出会わなければ私は大学でもサッカーを続けようとは思いませんでした。私の大恩師です。一生ついて行きます!
価値観も考え方もサッカーに対する熱量も何もかも変わりました。だからこそ、もっとやれなかった自分に不甲斐なさを感じ、もっと高いステージへ仲間と一緒に行けなかった高校時代に悔いが残りました。

「大学ではもっと躍進しよう!!」

そう誓い飛び込んだのが日本体育大学。
素晴らしい仲間たちに出逢えたこの大学を自分は心から誇りに思います。
日体大の皆さんは自分の大学を誇りに思えていますか?
私の目にはあまり誇ってるようには映りません。色々な要因はあると思いますが...
でもそれは自分達が誇れる存在になれば良いだけなのでサッカー部が日体大の顔になるくらい最高な部活にしていきましょ!!

今思うと大学生活は驚くほどあっという間でした。もう半分過ぎちゃった。「俺何してんだろ?」最近そう考える事が多いです。
自分で関東の高いレベルでサッカーをやりたいと思い進んだ大学で、果たして何か満足できたのだろうか?

1年生の頃はサッカーしてるのにただ必死でした。サッカーってこんなに難しいんだ!って思った。めちゃくちゃ悩んで、疲れて、それでも満足に成果は出ずに...
そしたらあっという間に1年は過ぎてましたね!本当にあっという間だったな〜!

2年生に上がる前に人が足りないからという理由でたまたまトップチームの練習に参加し、1・2月の走りを頑張っていたら、宮崎の遠征に連れて行ってもらいました。これまた私は強運の持ち主でしたね。何で自分が呼ばれたか分からないけど、練習に参加させてもらえるのは素直に嬉しいものでした。
しかし、トップチームにいた数ヶ月の間は正直とてもキツかった。自分が目指している環境はここなのに!!って思いながらサッカーをやる毎日。「何でだろ?」って思ったら、やっぱり私と周りの選手ではサッカーに対する熱量の差がかけ離れていましたね。

私がいるのはみんなが本気でプロを目指している集団。そんな中に、
「本当は教員になりたいけど、運良ければプロに行けたらいいかな!」くらいの甘ったれた考えの自分がいて良いわけがありませんでした。それを痛感させられました。
案の定Bチームに降格。この降格は心の底から悔しいと思った。もう後悔したくないな!って思った。だから自分にできることをやる!って決めて、またBチームでサッカーを続ける決心をしました....

でも、やっぱりサッカーってなかなか難しいですよね。

一生懸命やってもなかなか成果は生まれない

それをBチームで感じました。チームは絶好調。日体大史上初のアイリーグ全国大会出場。それでも素直には喜べない。だって1分も試合に出てないし、1回もベンチに入ってないから。

それでも、私がへこたれて、何やってんだろ?って思うことは無くなりました。悔しさはもちろんあるけど、叶えたい夢は明確だし、それに向かって努力しよ!って決めたから。

サッカー選手としての私の夢。それは

「トップチームに戻り関東リーグに出場すること。日体大サッカー部の一員としてインカレや総理大臣杯で優勝すること。」

これを何としても成し遂げたい。
大学の2年間で新人戦のたった5分間しか公式戦に出場したことないようなちっぽけな私のでっかい夢!!!!!

この仲間となら叶えられる気がするんだよな!絶対に叶えたい!!みんな頑張ろうね!

I walk slowly, but I never walk backward.
「私の歩みは遅いが歩んだ道を引き返すことはない。」

私のブログのタイトルでもある、この言葉はアメリカ合衆国第16代大統領
「エイブラハム・リンカーン」の言葉です。

大切なことは速さではなく、自分の選んだ道に後悔しないこと!! 

という意味があります。

まさしく私に言えることですよね。順風満帆なサッカー生活では無いし、輝かしい成績だって残していない。それでも自分の夢を叶えるために後悔しないように努力をし続ける!

これはサッカーだけじゃなくて色々なことに当てはまるのではないだろうか。何事もやり切る事が大切。叶わない夢なんて世の中に沢山あるけど、

叶わない夢=後悔

なんてことは絶対にない。例え叶わなくても後悔しない人は絶対にいる。それは一生懸命その人がやった証だから。

残り2年もない私の競技者としてのサッカー人生ですが最後まで全力で駆け抜けてみようと思います。
もう後悔しないために!!
みんなと見たい夢を追い続けてこれからも努力していきます!

本当にダラダラと長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。
大変な時期ですが、共に乗り越えていきましょう。
これからも日本体育大学サッカー部への熱い御声援をよろしくお願い致します。

          日体大3年 若松玲児

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名前:若松 玲児 (ワカマツ レイジ)
学年:3年
学部:体育学部体育学科
経歴:伊敷台中学校 → 樟南高校