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【選択】 3年 ボアンポン賢

この度、部員ブログを担当させていただく、スポーツマネジメント学部スポーツマネジメント学科3年のボアンポン賢といいます。

はじめに、新型コロナウイルの感染拡大防止に伴い、医療従事者をはじめとする私たちの生活を支えて下さっている多くの方々、また、大会実施に向けご尽力賜りました皆様に深く御礼申し上げます。

普段は関東大学サッカー連盟の学生幹事として活動をしているため、なかなかチームとして活動することができませんが、今回このような機会をいただけたので日本体育大学学友会サッカー部の一員として部員ブログを書かせていただきます。

長く拙い文章となりますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

“高校3年生の夏、競技者としてサッカーと関わることを諦めた”
当時のこの選択は本当に正しかったのだろうか。

周りと比べてかなり遅い、小学5年生でサッカーを始めた私は、身体能力と周りの環境に恵まれ、中学3年生までの5年間はかなり順風満帆なサッカー人生を歩んできました。このまま活躍し続ければ、プロにもなれるのだと思っていました。

中学3年の夏、当時松本山雅FCU-18 の監督を務めていた岸野さん(現栃木シティーフットボールクラブCSO)に声をかけていただき、断る理由もなかったためかなり早い時期にユースに入団することを決めました。
そのころの私は容姿の影響もあり、長野県内の同世代の中では少し目立った存在でした。
今思えば、選抜などで周りと比べたとき、実力が足りていないのにも関わらず、実績に胡坐をかき天狗になっていたのかもしれません。

高校進学後感じたことは、いかに自分が井の中の蛙だったか、そしてサッカーに対する覚悟が足りなかったかということです。
当時の私は、使ってもらえない理由・活躍できない理由を周りの人間に押し付け、自分自身を変える努力ができませんでした。
「ユースで活動している自分」・「プロを目指すふりをしている自分」を言い訳に自分の人生と真剣に向き合えていなかったのだと思います。
結果、クラブはJユースカップでベスト4になるなど、全国の舞台で躍進する中、私自身は高校2年まで2ndチームでも出場機会をもらえず、悔しい思いをするばかりでした。
増え続けるチームメイトに対する劣等感から、輪の中へは一歩踏み込めず、ここには自分の居場所はないとさえ感じていました。

正直何度もやめようかと考えましたが、行動を起こす勇気もなく、ただただ月日が経過するのみ。
そんな中、高校2年の1月、それまで2年間指揮を執っていただいいた監督がシンガポールのクラブへ行くこととなり、新たな監督が来ました。
これが最後のチャンスだと覚悟を決め練習に励んだシーズン開幕までの2か月間は、自分でもかなり頑張ったと思っています。
その努力は報われ、Aチームで使ってもらえるようになり、リーグの開幕戦ではスタメンとして出場できました…が、その開幕戦の前半10分ごろ、左足に痛みを感じ始めました。前半30分には耐えられず負傷交代、診察の結果は第五中足骨の疲労骨折で全治3か月とのことでした。
この時私の中で何かが切れ、卒業と共に競技者としてのサッカー人生は終えることを決意しました。

しかし、ここまで関わってきたサッカーを完全に手放すことができず、裏方として支える道を選び今に至ります。
正直、この高校3年間は18年という、私の短い人生において一番つらい時期だったといえるでしょう。


「大学でサッカーを続けたってほとんどプロになれないだろ」「何のために皆は競技を続けるんだろう?」「そろそろ現実をみろよ」

「でも自分はただサッカーから逃げただけではないか?」「自分も大学で必死にやっていればもっと活躍できたんじゃないか」

「また自分に言い訳していないか」

こんなことをずっと考えながら、後悔を繰り返す日々、そんな自分が許せず、どこか自信を持てずにいました。


“高校3年生の夏、競技者としてサッカーと関わることを諦めた”


進学後、支える立場として大学サッカーと関わってきましたが、それぞれの思いを抱き大学でサッカーを続ける仲間たちを見ると、たまにあの時の選択が本当に正しかったのかを考えるときがあります。
でも今は自信を持って言えます。
「この選択は間違いではない」と。


"高校3年生の夏、今までと違う視点でサッカーと関わることを選択した"


私はどうやら遠回りが好きな人間のようで、正解を見つけるために多くの時間をかけなければなりません。
つい最近までは、高校時代のことを振り返ることすら怖くて、かつてのチームメイトの活躍も素直に応援することができず、自分の選択にも自信が持てませんでした。
でも、この高校3年間も自分の人生にとって必要な遠回りだったと考えられるようになったとき、初めて自分自身を許すことができました。

今では、かつてのチームメイトの活躍を心から応援しているし、一人でも多く大学サッカーやその後のステージで活躍してほしいと願っています。
自分の選んだ道に関しては、少し後悔することはあるけど(笑)、間違っていたとは感じていません。きっと違う道に進んだとしても、それは必要な遠回りだったのだから。

実は今回、忙しいことを言い訳にブログは書かないことを選ぼうとしていました(笑)。
しかし、ユースの同期で同じ高校に通っていた岡本將吾(同志社大学体育会サッカー部所属)の部員ブログをたまたま読み、過去と向き合いこの文章を書くことを決意しました。
何かに刺激されなきゃ、モチベーションが上がらないことに関しては改善すべき点と感じています。
ただそれと同時に、私は周りの人間にとても恵まれているとも感じています。
厳しい意見をくれる人、辛いときに励ましの言葉をくれる人、同じ目線で真剣に物事と向き合ってくれる仲間、将来について語り合える仲間、そしてこんな自分でも受け入れてくれた多くの人たち。
なかには心無い言葉をかけてくる人もいて、かなり傷ついたときもあります。
それでも、そういった全ての人たちのおかげで、今の自分は成り立っているのだと思います。

早いもので私の学生生活も順調にいけば、残り1年半となりました。
この1年半で日体大サッカー部に、そして大学サッカー界に何かを残したい…そんな大それたことを言える人間だったら、おそらく今でもプロを目指してグラウンドを走り回っていたと思います。
自分自身が選んだ、そしてこれから選ぶ道の結果が、今日まで私と関わってくれた人や、これから関わっていく人にとって、少しでもいい影響となることを願い、残りの学生生活を送っていこうと思います。

長く拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
新型コロナウイルの影響で、今シーズンは過去に例をみないほど難しいものとなりました。
弊部も大学の意向により、1ヶ月遅れての参戦となっています。
私自身、直接チームの力となることはできませんが、自分の立場でできることを全力で取り組んでいきます。

最後に、今後とも日本体育大学学友会サッカー部への熱い応援のほどよろしくお願いいたします。

名前:ボアンポン賢
学年:3年
学部:スポーツマネジメント学部スポーツマネジメント学科
経歴:旭町中学校 → 松本美須々ヶ丘高校(松本山雅U-18)