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雑記 2022.9.12 / テレワークひきこもごも

結局、完全在宅勤務は自分に向いてなかったよというお話

コロナが流行るずっと前、2014年頃にテレワークをしていた。

特にテレワークを望んだわけではなく、会社の所在地に通えないほど遠くに住む事になったために結果的に仕方なくテレワークになった。
むしろ、通えなくなるのならいっそ辞めて新天地で新しく仕事を探そうと思い意気揚々としていたところにふって沸いた話だったので、自分としてはそもそもあまり気乗りはしていなかった。
ただ、お世話になった会社の要望を無碍にはできなかったのと、気乗りはしていないものの「在宅勤務」というスタイルに興味はあったので、とりあえず、と私はテレワーク生活を始める事にした。

今でこそ一般的になり周知もされているテレワークだが、2014年はそうではなかった。
基本家にいるので周りからは勝手にヒマだと思われるし、私としては会社に通勤していた頃となんら変わらない仕事をしているのに給料は少し下がった(テレワークだからラクだと思われていたのだろうか)。
そして今でこそ「テレワーク続きで社内コミュニケーションが不足」とか「孤独感を感じやすい」とかいう問題点も周知されるようになってきたけれど、2014年当時はそもそもテレワークをした事のある人の絶対数が少なかったからテレワークの問題点がフィーチャーされる事もなかった。
むしろ、コロナでテレワークが広まった直後にメディアで言われていたような「家で仕事ができるので通勤時間がなくなり時間を有用に使える」「化粧をしなくていいからラク」「上司に気を遣って過ごさなくていい」などのメリットをイメージされて羨ましがられる事の方が多かった。

コロナ禍の初期に、今までテレワークをした事のない初テレワーク民から大絶賛されていたテレワークも、だんだん長期化するにつれ問題点の方も大きく取り扱われるようになってきた。
それより昔にそれを身をもって経験している私としては「だろうね!」と思った。やっと自分の理解者がたくさん現れたような、自分を肯定してもらえたような気持ちになった。やっぱりテレワークというやつは多少なりとも心を蝕む。
一日の大半をしめる孤独、出社している社員との間にできる心の壁。自分はこの会社の一員だ、とはもう到底思えなくなっていた。
あまりに毎日他人と話さないので、スーパーの店員さんとの「ポイントカードはお持ちですか?」「はい」のやり取りで「あぁ、久々に家族以外の人と喋ったな…」とじんわり感動するぐらいのメンタルにはなっていた。
それでも当時はテレワークの問題点や孤独問題は世に知られていなかったから、自分が特別そういうふうになっちゃったのかな、と思っていた。いくら説明しても周りにはその辛さは伝わらなかったし。「でも家にいるのはラクじゃん、羨ましい」って言われてしまってたし。

自分が希望してテレワークをしているなら違ったのかもしれない。あるいは子育てや介護など、テレワークでなければ難しい家庭内の事情がある場合もまた違うのかもしれない。もちろん、テレワークが凄く性に合っている人もたくさんいる。
問題はたぶん、テレワークを望んだわけではないままに成り行きでテレワークに身を投じた自分の見積りの甘さなのかな。
結局3年くらいでこの会社は辞めて、普通に出社勤務をする会社に転職した。

新しい会社で、毎日生身の人間と会って、会話して、ジェスチャーを交えたやり取りをしたり、場の空気感で起こる笑いにお腹を抱えて笑ったりして、ああ、こういう「普通」を求めてたんだよなぁ、と思った。
業者さんの手土産のお菓子がおしゃれで可愛くてみんなで舞い上がったり、上司がお昼ごはんご馳走してくれたり、いま起きた事をリアルタイムで共有して解決したり。
テレワークではできなかった事。
人と会って話をする事で自分の中の価値観が更新されるような感覚。

もちろん、テレワークにも良いところはあった。洗濯機を回しながら仕事できるし、昼ごはんは冷蔵庫の残り物を適当に食べればいいし、好きな時にトイレに行けるし、好きな映画や音楽をかけ流しながら仕事できるし、眠くなったら寝ても大丈夫だし、大雨や吹雪の日は外に出なくて済むし。
でも結局、そのすべての便利をも孤独は上回ったんだよな。人を求めた。

でも結局、一番いいのは月の半分テレワークで月の半分は出社、ぐらいのバランスが一番いいんだろうな。私はそれがいい。今の会社では無理だけど。
完全出社になると、今度はテレワークが恋しくなる。あんなに嫌だったのに。
結局すべては無いものねだり。
隣の芝生は青いのです。

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