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男、女、老人、ロードバイカー 『テルマ・アンド・ルイーズ』リドリー・スコット(映画 1991)

支配的な夫に嫌気がさしている主婦テルマ。過去に秘密があるウェイトレスのルイーズ。友人同士の2人は、突発的な出来事によって、殺人と強盗の容疑で追われることになる。彼女たちは国境を越えてメキシコに逃れようとするが……。

男と女の対比が、やや単純な気はする。
テルマとルイーズの逃避行を美化しすぎている感じもする。

にも関わらず、この映画は魅力的で、もう一度見たくなる。

その理由の一つは、本筋と無関係に思えるシーンや登場人物の存在ではないだろうか。
例えば、ルイーズが道端の老人と、アクセサリーとカウボーイハットを物々交換する場面。
強いて考えれば、ルイーズが誰彼構わず脅したり奪い取ったりする横暴な人間ではなく、(男によって)追い詰められていなければそんなことはしない、という意味なのかもしれない。
だが、ほとんど動かず一言も発しない老人とのシーンが、ストーリーの中心から逸れているのは確かだ。

パトカーのトランクに閉じ込められた警官(テルマたちのしわざ)のそばを通りかかる男性も同じ。なぜ、黒人のロードバイカーという個性的な人物なのか?しかも、彼はすぐには警官を助けず、タバコの煙を吹きかけるのだ。
女性以外のマイノリティの示唆というふうに捉えることはできるが、やはりストーリーの本筋ではない。

だが、そういった逸脱が、メッセージが前に出過ぎる息苦しさを回避させていると思う。

もう一つの魅力は、自然の美しさ。
私が今住んでいるところは、映画のそれに似ているとは言えないが遠からぬ風景の場所なので、親しみを感じる。
乾いて、素っ気ないほどだだっ広くて、太陽が照りつける。夜の暗さと夜明けの美しさが際立つ。
自分を解放したら、何万年も前からそこにある景色も、また鮮やかに見えるだろうか。自分が生き生きしていれば、眼に映るものも新しいだろうか。
そんなことを思った。

⭐︎食の場面
テルマが家出同然にいなくなり、残された夫がピザを食べている。刑事の訪問に驚いた彼は、ピザを踏んづけてしまう。

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