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平安時代かも

サムネは全然内容と関係ない、カラコンと指輪と輪ゴムで作ったキモいピングーです。作者は妹です。妹はつい先日成人式でした。

卒業研究作品の会場設営もそろそろ終盤です。わたしはあと紐をくくったり、床を掃除したり、それで終わりです。終わるんだなあ。この5日間、大学と手芸店とホームセンターと、実家よりはるかに大学に近い恋人宅(ありがたい)を何往復したやら。

次の春にはこれらのすべてを離れることになります。景色が変わることは、わりかし楽しみです。

愛読書[旅ドロップ/江國香織]に平安時代の人びとについての文があり、わたしは大層それに近いことを発見しました。方違えという文化に基づき頻繁に引越しをしていたらしく、一地に留まる執着が薄めだったようです。一地(いっち)というのは私がいま作った語で、さもある単語のように忍ばせてみました。いっぽう折々の景色に対する感動が深く、旅の目的の大部分が景色であったり、それに感涙したり物思いに耽ったりしたことを綴る作品も多くあります。

そうそう、そうなのよね、と思いながら読みました。22年住んだ地元はあれど執着はなく、ほうぼうに出掛けてもアンテナを張るのは観光名所より根づく暮らしの様相。土地の人びとの呼吸を全身にとりこむようにただ練り歩き、地酒をのんで、地元の人と会話をして、古くからある神社(平日の昼間がありのままなので、ベスト) や海や川に数時間ただ鎮座してから帰ります。帰るころにはどうしてここに人が長く住むことになったのか、なんとなく肌で掴めていたら理想です。

ひとりだともっぱらそんな旅。
人と一緒にいればもちろん観光地もしっかり楽しみます。金箔の乗ったソフトクリームを意気揚々と注文できますし、妹と行った仙台ではずんだシェイクが美味しかった。

これからも津々浦々の土地に足を運びたいです。平安人のように。何十年もかけてしっくりくる土地をみつけて、70歳あたりでひっそり終の住処を定めたい。
ものづくりが好きなのでわたしの本職はしばらくグラフィックデザイナーですが、それも「映画や漫画や小説ほど無尽蔵で暴力的に感動させられることがないので仕事として成立しそう(たとえば映像作品では、画角や台詞の妙に制作者の熱を感じるとストーリーの泣き所でなくてもしばしば感涙してしまうので、仕事にするには過度に体力を要する)」という理由のありさまなのでふいにやめてしまうかもしれません。しばらくは東京本社勤務なので東京にくくりつけられますが、もったいないのでじきに飛び出るでしょう。

「あの人は軸としてグラフィックデザインを続けているらしいけど、どこで何をしてるのかいつもわからないんだよね」と言われてしまうような人でいたいです。人生のなかをスキップするように身軽でいたい。
そして、誰も気づかないうちに死んでしまって、「あの人は軸としてグラフィックデザインを続けていたらしいけど、どこで何をしていたのかいつもわからなくて、最近どっかで死んじゃったらしいんだよ」と風の噂でひらひら流れたい。風の噂を立ててもらえるくらいには友人も大切にしたいものです。

平安人由来の身軽さと感受性の豊かさをもった現代人として、今日も令和の世をゆきます。

ここで卒業研究作品の設営が終わって、いよいよ大学生としての作品制作が終幕しました。制作について書きたいところですが数日薬をのんでいない反動で意識がぼやぼやするので筆を置きます。
明日は夕方から教授による講評があります。どきどき。

おわり

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