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部屋に物がない!かつてはみんなミニマリストだった説

ステレオタイプなミニマリスト像

何もないがらんとしたワンルームの隅に折りたたみ椅子と机、その上に乗るApple社のMacBook、寝るときには畳んでいたマットレスを広げて床に敷く、部屋の中に冷蔵庫はない……。

所有物最小限主義者:ミニマリストと自らを呼ぶ人々の暮らしは、大衆の目には特異に映るようで、いかにもメディア受けしそうなものである。上記のような物がない暮らしぶりについて、写真や動画で紹介しているのを目にした方も多いだろう。

ミニマリストは、持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。
Wikipediaより

ミニマリスト自体は2010年頃から生まれた比較的新しい言葉とされているが、言葉が生まれる前からミニマリストに相当する暮らし方はあったのではないか。むしろ、今で言うミニマリストが民衆の大半だったのではないか、というのが今回の記事の趣旨である。

昔の暮らしはミニマリストそのもの?

筆者はいわゆる「当時の暮らしを再現した空間」が好きで、よく博物館や資料館に足を運ぶのだが、そこで気付くのはとにかく建物の中がすっきりしていることだ。

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広い家屋の部屋にはほとんど物がない。部屋と部屋は障子やふすまで区切られており、家具は壁際に寄せられている。農耕具類は別棟の納屋(なや)に収納されている。
日本民家園展示より

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江戸時代から明治時代の三軒長屋の暮らしを再現した場所だが、部屋にはちゃぶ台、行灯、たんすくらいしか見当たらない。水回りの一切が部屋にはないため、トイレ・風呂・台所は共同のものを使用する。
当時は火事が多かったため、さっと持ち出せる以上の物を持つ習慣も無かったのかもしれない。
浦安市郷土博物館展示より

あくまで展示物であるから、細かいところまで暮らしぶりを再現していないという可能性もあるが、部屋には最低限の収納と道具しか置かれていないことが多いのは、各地の博物館・資料館で共通している。

物がないことは台所や食事にしても同様である。今のような機能性あふれるシステムキッチンとIHクッキングヒーターではなく、薪を使って土間で煮炊きをしていた。ごはん・おかず・汁物のみのいわゆる一汁一菜では、この設備で十分だったのかもしれない。もちろん、この時代に電気冷蔵庫や電子レンジは存在しない。

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かまどの周りには釜、七輪、手桶、かめ、燃料の薪などが置かれているのみ。調理器具や調味料があふれる現代のキッチンとは全く違って見える。
房総のむら展示より

ミニマリストの中には禅宗で用いる応量器(おうりょうき:重ねて収納できるコンパクトな食器セット)を愛用している方も居るが、かつて一般庶民は質素な箱膳を用いていたという。

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明治時代までは、箱膳という箱型の台で食事を行っていた。箱ひとつが一人分になっており、使い終わった食器は空洞になった箱の中へ収納できるようになっていた。最後にお茶ですすぐのみで、皿を毎日洗うこともなかった。
博物館明治村展示より

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棚に収納された状態の箱膳。写真では縦に積み上げて保管している。当時もこうして保管していたのかは不明。
宮崎県総合博物館民家園展示より

掃除はといえば、はたき・ぞうきん・ほうき・ちりとりの四点セットで行い、洗濯は石鹸が出回るまでアルカリ性である木灰の灰汁で行っていたという。

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金ダライと洗濯板。当時は金ダライに洗濯物を入れ、人力で踏み洗い・押し洗い・もみ洗いをしていたようだ。
浦安市郷土博物館より

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町中にはこうした洗い場があり、洗濯などはここで行っていた。
郡上八幡の共同洗い場(カワド)にて

横浜のJICA(国際協力機構)にある海外移住資料館では、展示の一部として海外移住の荷物が再現されているが、海を隔てた遠い異国の地へと海外移住するにもかかわらず、さほど荷物がないことに驚かされる。

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下駄、傘、ハクキンカイロ、風呂敷、裁縫道具、化粧道具、浣腸用の注射器など、写真は荷物の一部であるが、見るからに最低限なことが分かる。

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調理道具として石臼、急須、飯盒が、湯たんぽやそろばんも見える。いずれも当時必須だったものだけだ。

ミニマリズム温故知新

こうして見ると、当時の暮らしぶりはいたってシンプルそのもので、ガジェットを多数持ち歩く今のミニマリストよりも、ずっとミニマリストだったのではないかとすら思えてくる。

このように、かつて日本人は物を多く持たない暮らしをしていたように考えられるが、電化製品が生活に入り込み、大衆の生活が豊かになり、プラスチックの製品が安価で買えるようになって、便利さと物のある生活を手に入れたといえるだろう。

この記事で筆者が示したかったのは、単なる懐古主義でもなく、またミニマリストや、物に囲まれて生きることへの賛否でもない。

日々の暮らしに本当に必要なものは何か、ちょうどいい量とはどれぐらいなのか、昔の暮らしを参考に所有物の量や用途について考え直してみると、所有することの新たな一面が見えてくるのかもしれない、といった話である。

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