旧満州国の建物の歴史価値とは?

船尾修氏が旧満州(中国東北部)を訪問し、今も使われている建物の写真撮影をしながら、我が国の技術力や満州をめぐる権力闘争を考察している。
写真や考察文を纏めて「日本人が夢見た満州という幻影」と言う書名で出版した。
そこに残っている建物群はいまだ健在で、著者は日本の建築技術の高さに舌を巻いていた。
中国、ロシア、英国と我が国が中国東北部の領有をめぐって暗闘をしていた。ロシアは不凍港を求めて旅順を支配下に置くべく様々な画策をしていた。日清戦争で我が国が手にした旅順の権益を三国干渉で取り上げ、その後旅順の権益を手にしたのはロシアでした。
その後、関東軍の知恵袋が満州地区を手に入れることはロシアの圧力に対抗できると考えた。第一次世界大戦の反省から国際連盟に国際紛争を解決する権限を委ねていたことを利用して中華民国が満州進出に待ったをかけた。
欧米から満州国は日本の傀儡だといちゃもんをつけるので清朝の最後の皇帝だった愛新覚羅溥儀を満州国皇帝に担ぎ出した。どういう約束があったかは闇の中ですが日本の後押しで満州国が設立された。その後に起きた満州事変の背景調査に連盟はリットン卿に命じた。調査委員会は日本に不利な調査結果を出したが、連盟の常任理事国であった日本は巻き返すチャンスが残っていたがそのチャンスを逃した。満州国には鉄鉱石、石炭、原油などの資源が豊富であり、無理無理に東南アジアに進出せずに済んだかも??

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