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アート作品を鑑賞するとは?「正解探し」の根強い思考

今年から始まったアートベンチャーエヒメというプロジェクトに、アートコミュニケータ(通称:ひめラー)として参加しています。

5月のオリエンテーションを皮切りに、全6回にわたる「基礎講座」でひめラーとして活動していくための基礎を学んでいます。

先日、第3回目の基礎講座「アート作品を鑑賞するとは」を受講してきました。

今回も学びの深い時間になったので備忘録も兼ねて記しておこうと思います。


■アート作品を鑑賞するとは


今回のテーマは「アート作品を鑑賞するとは」でした。

場所は愛媛県美術館で行われました。

ひめラーが扱うのはアート作品だけではないのですが、アート作品を鑑賞するファシリテーションの方法を学ぶことを通じて、ひめラーとして大切な姿勢を教えていただきました。

講師は「ファシリテーションが大好き!」とおっしゃる、Art & Communication Lab. うるとらまりん主催者、京都芸術大学アート・コミュニケーション研究センター共同研究者の春日美由紀さん。

午前中は、「アート鑑賞とはどういうものか?」「ファシリテーションとはどいうものか?」を座学とグループワークで学びました。それをもとに、午後は美術館の展示室に行き、実物のアート作品を題材に、実際にファシリテーションしている様子を観察したり、アート鑑賞したりという実践の時間でした。

▶︎ アート鑑賞≠作品の情報を得ること

例えば有名なモナリザの絵を見せられ、「これは何?」と聞かれたとき、こういうふうに言うのではないでしょうか。

  • モナリザの絵です

  • レオナルド・ダ・ヴィンチの作品です

  • ルーブル美術館にあります

  • 油絵の技法で描かれています

  • ルネサンス期の作品です

これらは作品の「情報」であって、作品そのものではありません。

モナリザの手の部分を隠した状態で「どちらの手を上に重ねていましたか?」と質問されたとき、半分以上の人は「左手が上」と答えていました。(正解は「右手が上」)また、背景に「橋」が描かれていることも、言われてみて初めて気がつくといった状態でした。

私たちは「作品そのもの」を見ているようで見ていないのです。

アートを鑑賞する上では、作品の情報を知って満足するのではなく、作品そのものをよーーく見ていくことが大切です。

▶︎ 同じものを見ていても見えているものは違う

花瓶にいけられた花の絵を題材に7〜8人のグループで「鑑賞」していきました。

一つの同じ絵を見ているはずなのに、注目している部分は人それぞれ違うし、同じ部分に注目していたとしてもその理由や感じ方がまったく違っていました。

一人で見ていたときには目に入らなかった部分が目に飛び込んできたり、他の人の話を聞いているうちに新たに疑問が湧いてきたりと、作品をより深く鑑賞できている感覚がありました。

▶︎ みる→かんがえる→はなす→きく・・・

アート鑑賞では、「みる→かんがえる→はなす→きく•••」をグルグルと回していきます。

  1. みる意識を持って観察する。作品そのものをよく見る。

  2. かんがえる:直感を大切にしながら作品について考える。そう感じさせた根拠を作品の中に見つけ出す。

  3. はなす:考えや感情、疑問を的確に言語化して周りの人に伝える。

  4. きく:他ん人の意見を意識してきく。

この場ではアート鑑賞をテーマにしていましたが、普段の生活から感度を上げて周りを見て、ささいなことを逃さないようにしていきましょう、というお話もありました。

▶︎ どこからそう思ったか?(根拠)

同じものを見ていても人によって考え方や感じ方はさまざまです。

でも「あの人とは違うな〜」で流すのではなく、その考えのもとになるもの=根拠 を捉えていくことが大事です。

なぜなら、根拠(事実)にもとづいた解釈は、賛成はできなくても「納得」はできるから。

ひめラーとして何かプロジェクトを進める際、あるいは地域に入って地域の人と活動をしていく際、表面上の意見は割れることがあるかもしれません。でもその「根拠」まで一歩深めてみたら、実は見ているものは同じだったということも往々にしてある。

こういった歩み寄りの姿勢が大事なんだとわかりました。

■アート鑑賞の実践タイム


午後は、アート鑑賞の実践タイムでした。

ひめラー参加者は「鑑賞者」と「観察者」に分かれ、講師の春日さんとアシスタントで来てくださっていたもう一人のファシリテーターとともに、実際に対話型鑑賞を行いました。

最初の数分間、鑑賞者はじっくりと作品を見ます。そのあとファシリテーターが質問を投げかけ、鑑賞者たちは思い思いに発言していきます。

鑑賞者は他の鑑賞者の発言を受けて思ったことを発言したり、ファシリテーターが全体の意見を整理しながら新たな質問を投げかけたりして、20分ほど一つの作品について鑑賞を深めていきました。

▶︎ ファシリテーターのふるまい

ファシリテーターは、もちろんその作品を何度も見てきてよく知っているはずなのですが、まるで「何も知らない人」のように先入観なく、鑑賞者の話を受け取っていたのが印象的でした。ファシリテーター自身は答えを持たず、「カラッポ」の状態で聞いているように見えました。

また、一人の鑑賞者の発言が他のみんなにもわかりやすいように、発言に合わせて指差しをして示したり、あいまいな表現(「これが」「それが」)があれば的確な表現(「右上の⚫︎⚫︎が」)に直したりして、全体の共通理解を作るようにしていました。

言葉の端々に、「どんなことでもOK」「何を言ってもOK」というメッセージを含ませていて、自由に思ったことを発言できる雰囲気を作っていました。

▶︎ 鑑賞者を体験して

実際に鑑賞者をやってみたとき、私は途中からとても苦しくなってしまいました。

絵画に対する知識が多い人の発言を聞いては「すごいなぁ」と圧倒されてしまったり、「現世と来世を表しているのではないか?」など、より深い見方をしている人の発言を聞くと、自分の浅はかさに落ち込んでしまったのです。

「正解はない」ものだと頭ではわかっていながらも、やっぱりどこかで模範解答を探してしまったり、他の人と比べて劣等感を感じてしまうという思考のクセがバンバン出てきてしまいました。

あとは、「ルール」にがんじがらめになりがちな思考にも気付かされました。

ファシリテーターが「時間も限られているので、いろいろ発言したいことはあるかもしれないけど、端的にお願いします」と言っていたのにもかかわらす、長く話したり2回話したりする人がいると、それだけですごく気になってしまい話の内容に集中できなくなってしまいました。

自分もちゃんと指示通りにできてるかな?というのが、常に浮かんできます。これも随分昔から馴染みのある思考のクセだったと思いました。

そんなわけで勝手に苦しくなってしまい、結局最初の一回しか発言できませんでした。でも、今後ファシリテーターをしていく上では良い経験になったと思っています。きっと、私と同じような気持ちになる人がいるだろうから、そういった人に気付けるファシリテーターになっていきたいと思います。

■まとめ


普段の生活から感度を上げて、ものごとをよく「みる」こと。

すぐに「わかった」として考えることをやめないこと。

他の人と比べたり模範解答を探して勝手に落ち込まず、自分の考えを勇気を出して発言してみること。

この3つを今後に活かしていきたいです。


今日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました😊



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