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できない人ほどいちゃもんをつけたがる

仕事だけに限りませんが、人をよく観察するとその人の特徴がわかります。仕事ができない人たちほど、役職や年齢、あるいは性別などに関係なく、あれやこれや文句をいいます。
その理由は簡単です。
その人たちは、仕事ができないから文句がいえるのです。

仕事だけに限りませんが、物事は一朝一夕にできあがりません。
そこには物事を進めていった人にしかわからない苦労があります。
そのような苦労は、人間の血肉となって昇華していきます。
私は、しばしば「体得する」といっていますが、言葉にすることがむずかしく、他人との共有もそれほど簡単ではありません。

他人が困っているとき、仕事などをきちんとやってきた人というのは、その苦労を理解していますから、私流には「体得」していますから、いちゃもん的発言などできるわけがありません。
私が管理職だったころ、困っている人をみると、どうしたの、と質問することが多かったでしょうか。
そのうえで困っている内容を共有して、いっしょに考え、改善していくようにサポートしていました。
苦労しながら仕事を覚えた人は、他人が困っているような場面で、むやみに「いちゃもん」をつけるなどできるわけがありません。

「いちゃもん」をつけたがる人たちというのは、仕事などをきちんとやってきておらず、物事を表層的にしかみていません。
そんなことにいちいち動揺することなく生きていくことが大切ですし、このようなタイプの人とは距離をおくことです。
距離をおくことができなければ、その人のよいところ探して、うまくつきあっていくしかないでしょう。
私は、このようなタイプの人だけではありませんが、人のよいところをみつけることが下手ですから、人間関係をうまく作ることができませんでした。
私の欠点(自分ではそう思っていないところが問題)のひとつでしょうか。

若い頃の苦労は買ってでもしろ、とは人間として当たり前なのです。
そうしなければ仕事であろうと、勉強であろうと、研究開発であろうとできるわけがありません。
社会や企業というところは、評論家の集まりではなく、実行家の集まりであり、苦労や努力の前提のうえに成り立っています。

だからこそ、いろいろな人の言動をみて学ぶことができるようになります。
また、どのような人から学べばよいかも、よく理解できるようになります。
苦労を知る人は、多くの人たちが仕事ができるようになることを望んでおり、実際、他の人たちが仕事ができるようになる行動をとります。

わがまま放題の私ですら、多くの苦労や努力を重ねた人たちからサポートをしてもらったおかげで、今の自分があると、心からそう思っています。
だからでしょうか、うまくいかなくとも苦労(努力)することが好きです。
仕事で困っている人には、私が助けることができるとき自ら協力しますが、自分がサポートできないときには、できる人を探して対応していました。

人は苦労や努力をしていれば、口先ではなく、先ず行動が先にあります。
私の苦労など大したことはありませんが、それでも、そのように思えますから、企業のなかにあっても真の苦労や努力を知る人ほど、多くの人たちをサポートしていました。
「いちゃもん」とは無縁のこのような人たちの存在が、多くの人材を輩出してきた本質だったのかもわかりません。



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