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田んぼと鉄路の存在が郷愁を誘う

私は、この地が好きですが、田んぼがあることのほかにもわけがあります。
そのひとつが、鉄道が身近にあることです。
幼いころ電車をみにいくためには、実家から片道40分ほど歩かなくてはなりませんでした。
それでも地方ですから、そんなに多くの電車が走っていたわけではありません。
長い道のりを歩いていくわりには感動は少なかったでしょう。
旧国鉄の線路までいくには、さらに30分ほど歩きます。

子供の足取りで片道1時間以上歩くのですから、1日遊んだように感じたものでした。
さすがに旧国鉄の線路までたどり着けば、客車区で出発を待っている寝台特急、あるいはその傍を通過する特急電車など多くの列車をみることができ、子供ながらに感動したものです。
私は、とくに鉄道おたくではないのですが、列車をみているとわくわく感が漂うのです。
列車をみながら田舎に住む私のような人間が感じるのは、この鉄路の先に、まだみたことがない東京という大都会があるという淡い都会への想いのようなものだったでしょう。

そのような感覚が今でも体に残っており、田んぼを散歩しながら鉄道を眺めている楽しさは、古きよき時代に自分を連れ戻してくれるからでしょう。
あの遠かった鉄路。
大都会、東京を想い描いていた自分。

身近に鉄路がある風景は、自分の夢や想いでもありました。
私が今住むところは東京から近くて、昔の故郷(田舎の風景)と同じ景色がありますが、15両編成の快速電車が運転されているなど、私の幼いころからみれば、考えられない光景です。
身近な駅は、家を購入したとき、映画「駅」にでてくるような昭和初期のレトロな駅舎でした。
列車とホームに段差があり、幼い子供たちは、手をつきながら乗車していたのがウソのようです。

そんな駅は新しくなり、さらにホームが延長されて快速まで停車するようになるのですから、驚きと同時に、感動的ですらありました。
故郷福岡が都会だといっても、今でも運行されている電車は、長いもので6両編成くらいでしょうか。
15両編成の電車などをみていると、とてつもなく長く感じられます。

昭和の時代、歌の歌詞に「夜汽車」のフレーズは定番でしたが、それは哀愁や郷愁を感じる言葉であり、別れを象徴していたものでした。
私は、学生時代、寝台列車で福岡と東京の間を行き来していましたが、その長旅のおかげで、東京とは遠いところにある町だということを感じることができました。
九州に近づけば、瀬戸内海の海、中国地方の山々、そして九州へはいれば田んぼと、その土地の景色を列車のなかから何度みてきたことでしょう。

その長旅の風景は、すべて鉄路のおかげでした。
私には、鉄路こそが、故郷と自分をつなげてくれる唯一無二の存在のように思えていました。
今でも鉄路をみることは、幼い時代に対する郷愁の念があるからでしょうか。
鉄路とは、私の人生の一部でもあるようです。

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