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私を死なせてよ!と私に訴えたのは10代のホームレス女の子。

アメリカ医療現場より、こんにちは。私の働く病院では大きなERがある。成人と小児が分けられ各独立したビルを構えており、その受け入れ態勢は規模が違うといっていいだろう。昔トリアージナースと働いたことがあったが、片言の英語を話す妊婦が検診目的で夜間に受診しに来て、ナースが「で、ERに来た目的は?」と何度も問いつつ、頭を抱えるケースから、何らかの事件に巻き込まれて、銃で撃たれてほぼ死んでいる仲間をERの入口に降ろして逃げるケースと、まさにピンキリの患者と出会う。

私がこの病院で働き始めて、自殺願望のある患者の付き添いという仕事を何度もしてきた。子供からお年寄りまで。話を聞いてほしい人、放っておいてほしい人。関わるうえでの駆け引きはいつも手探りで、暴力的な患者に対しては、どうかコードグレイ(セキュリティと警察)を発令しなくて済みますように心で願っている。

先日、ある女の子の付き添いをした。精神化病棟から緊急入院後、現在私の働くICUで全身管理していた。彼女はいくつかの精神疾患、かつ、たくさんの既往があり、だれが見ても出会った瞬間にいろんな背景があるとわかるほど、たくさんの傷跡とひどい皮膚症状を抱えた姿だった。

私はどんな患者でも明るく笑顔で手を振りながら挨拶をするようにする。完全無視の患者から笑顔を返してくれる患者など反応は様々だが、"つかみはOK”(もはや死語か…)状態にあわよくばしたいという私の看護スタイルである。彼女に調子はどう?と聞くと、お腹空いた、と口をとがらせて言った。何が食べたいのかと問うと、私の顔をみて、あーチャイニーズフード!といった。春巻き3つと白ご飯にダックソース、あとはスープと・・・。

あのさ、そりゃ私アジア人だけど、だからって中華料理いつも持っているわけじゃないんだよ…。

あ、そうか。じゃあお金持っている?

お金は仕事場には持ってきてないよ

じゃ銀行いってきてよ。とにかくチャイニーズが食べたい。

そんな会話が彼女との出会いだった。その日はそんなわがままにある程度付き合いながら、12時間の勤務を終えた。それはそれは辛抱のいる勤務だった。しかし、お互い何となく関係性ができたように感じた。私としては自分の子供と接しているよう感覚だった。

それは、彼女はホームレスであり、両親や家族は存在するが、見捨てられている。それは彼女が彼らを殺害しようとしたから、もう近づけない。いろんな背景があるのは承知だが、ただただこの子には愛情が足りない、そばにいるべき誰かがいない、彼女が必要な環境を与えられる誰かがいない。せめて今はそばにいてあげよう。意識を向けてあげよう。”お母さん、みてー!”とわが子が言い、私は大きな声で”見てるよ!”と自分の子育ての中で繰り返してきたあのやり取りがこの子には必要なんだ、と感じたからであろう。

次の日出勤すると、まだ彼女は同じベッドにいた。日勤の付き添いをしていた若い同僚は白目をむいた顔を私に見せて、「あたし付き添い業務大っ嫌い」と言って帰宅していった。ちょうど一般病棟に転棟が決まっており、彼女の全身状態は良くなっていた。

調子どう?どんな一日だった?

最低ない一日だった。と不機嫌に彼女は答えた。

それは残念だったね

勤務交代時、どうしても患者のケアは少し保留になる瞬間がある。そんな時、彼女はたくさんのわがままを並べた。アイス食べたい。あのナースをよんでこい。要望内容は大したことではないが、かなわない願いが蓄積されて、既往に痙攣を持つ彼女は痙攣発作のふりをしてみせた。前日もその一連の行動を目の当りにしていた私を含めたスタッフは冷静に対応した。そしてじゃあ中心静脈カテーテルを抜いてやる!と行動はエスカレートした。

ベッドから抜け出し、部屋を出て、皆に叫んだ。私に触るな、黙れ、私は死にたい!と。この時点でセキュリティと警察が駆け付け、そこから長い説得と戦いが始まったのだった。部屋に何とか連れていき、何か死ねるものはないかとうろうろする姿、唾を皆に履く姿、警察官に「それを私にやったら逮捕だよ!」とくぎを刺され、牢屋にはいきたくないと泣く姿、抑制された四肢を折ってやると言いながらあり得ない体制でうなる姿。そんな姿に私はどっと疲れを感じた。悲しかった。がっかりだった。

私には誰もいない。家もない。みんな大丈夫っていうけど、大丈夫じゃないんだ!誰も私のことなんてどうでもいい。誰も気にしてない。だから死なせてよ!

そんな言葉は変えられない事実だった。彼女が身体的に回復し、精神病院に戻り退院した後、きっと彼女の帰る場所は路上なのだろう。彼女の隣で警察官がこんなプログラムがあると説明していた姿さえ、その場しのぎのまやかしであるのは彼女が一番よく知っているのだろうと感じ、私は絶望した。彼女の暴れる手足を抑えながら、私は完全に感情がなくなっていた。この子は生きる意味って何だろう。

長い格闘の末、いくつかの薬を投与され、少し落ち着いた彼女は寝ぼけながら、またわがままを並べ、ワーワーと駄々をこねた。くそ女だの日本語訳不可能の悪態を私や周りのスタッフについた。わが子のように接して私はだんだん感情的になった。

「私にそんな口の利き方をしないで!そんな言葉を誰かに対して使っている姿も見たくない!わっかった?!と怒った。自分の言うことを聞いてほしいなら、相手の言うことも聞きなさい!あなたいい子なんだから!」

「オーケー…ごめんなさい。」

看護師としてあまり感情的に患者と向き合わないようにしている。しかし彼女に対して、自宅で子供たちを叱るように怒鳴った自分を振り返って、私はなんだか恥ずかしく、やり場のない感情に浸っていた。なんであんなに感情的になったんだろう、と。

私はいらだっていた。最初は彼女の家族に。そして彼女を取り巻いた大人と社会に。彼女の病気に。また彼女自身にも。そして何より私自身に。どこにも置き場のない感情に、だれを責めることもできない状況にいらだっていた。中華料理や好きなキャンデーの話で笑いあって、この殻の中には普通の女の子がいると知っていた私にとって、そのどうしようもできない彼女の境遇にやるせなかった。ただ目の前でしてはいけないことを母親のように叱るしかなかった。きっといい子に育ってほしいと願いながら。

その後の勤務は、彼女と転棟先でも朝まで付き添った。彼女は取り乱すことはなかったが、ある程度のわがままを私に言いながら、彼女の近くに椅子を持ってきて座ってほしいと甘えた。一緒にテレビ番組を選んで、お笑い番組を見ながら一緒に声を出して笑った。しばらくすると「私もう寝るね、ブランケットをかぶせて、私、手を縛られててできないから」と抑制をはずせと悪態をつかず、私にお願いした。そっと彼女の要望の通りにかけてやるとそこからいびきをかいて寝始めたのであった。私はかすかに明るくなる窓の外をぼーっと眺めて、彼女にも腹を抱えて笑う瞬間がまだあって、それを奪っちゃいけないんだ、と考えていた。






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