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挑戦心と夢に満ちたアメリカの若者たち

こんにちは。アメリカの医療現場で働いたり、二児の母をしたり、キャリアアップを目指して日々頭を抱えて勉強しているえみちゃんです。

コロナ患者がまた増えてきた今日この頃、アメリカ医療現場は少し疲れ気味。というより、人がいない。それは、コロナのせいで沢山離職した、というシナリオを思い浮かべがちだが、そういうわけではない。結構長い間、一緒に働いていた同僚達はほぼトラベルナースとしていろんな州に飛んでいった。トラベルナースとは日本でいう契約派遣ナース?といったところだろうか。短期間で契約をした派遣場所に仲介会社を通して働きに行く。雇い側と雇われ側の馬が合えば、そこに就職するという事もあるようだ。今、コロナの影響を受け、トラベルナースの時給がバカ高い。日本円にすると8000円から1万円弱。週に50万円強の契約などという具合だ。多分一ヶ月に加算すると200万弱稼げるような計算になる。新人ナースの頃から勤務をしていて、数年たったナース達にとってはチマチマ昇給を待ちながら働いているのがバカらしくなる、というのは至って当たり前の考えである。こんな微妙な管理体制の病院なんてバーイ!と言ってさっさと辞めていった。

コロナの中、気持ちが落ち込みがちな毎日だが、彼らは正反対で、不安だけど、挑戦してみたい。とキラキラしている。それはナースに限ったことではない。

私の目の保養の一人でイケメン警備員が院内にいる。患者が暴れたり、貴重品を預けたり、死体を霊安室に運んだりそんな事を依頼しているうち、私の目の保養と化した。たまたま立ち話をしたある日、彼の夢は警察官になる事だと語った。もし怪我をしたときの為に今はコンピュータ系の大学に通ってるんだけど、今の仕事をする前、陸軍に入ったのも全ては警官になるためのプロセスだった、と。そして最近、警察学校から入学の手続きの連絡が来たとキラキラしながらまた道端で教えてくれた。私からすればこのアメリカで警察官になりたいと思う事自体が理解不能である。

私の周りにいるアメリカの20代の若者達はそんなふうにみた何かまだ先をみている。私が20代はじめの頃、もう少し何か足りないと思って、4年制の大学を卒業後、看護学校に編入するという道を選んだのだが、そんな私は少し浮いていた。また、就職してナースとして働き始めてから、5年弱もすぎないうちに、みな仕事に疲れ辞めたいと口々にこぼし、周りに迷惑がかからないようになんとなーくやめていったものだ。結果的に別の場所で看護師として働いている同僚も多いが、当時、結婚か精神的疲れ以外のキャリアアップとしての離職は少なかったように思う。

学生時代、とても勤勉で、塾や予備校に通って勉強に明け暮れる日本の学生たち。就職し組織の中に属した途端、会社の為にと疲れて、自分のやりたい事を追い続ける事ができなくなっている若者は多いのではないか。それとも今は少し変化し始めているのか。

そのマジメさが平和な社会を作り上げていると思いつつも、どこか宝の持ち腐れのような気もして少し寂しい。だから昔から他の何かを求める人は海外に目が行きがちなのだろう、と素晴らしい日本を遠くから眺めながら、少し生きづらさを感じる複雑な感覚になるのである。また、残された人間の事は完全無視なのね、と嬉しそうに去っていくアメリカの若者達を見送りながら、また複雑な気持ちになるのであった。

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