見出し画像

え?わたしADHDなの?…なにそれ。②

ボランティアとして所属していた団体の職員さんから「ADHD」と言われたわたしの話その2です。

「なんだそれ」と思ったわたしは、大学や地域の図書館、書店でかたっぱしから調べました。ADHD。注意欠陥多動性障害。。

子どもと関わる中で、よく先輩たちから
「ほんとセンスないねぇ!」
「おもしろい子がいるって聞いてたけど、君のことかぁ」
「人前に立つ時はフラフラしないでまっすぐ立つ!」
「落ち着け」「だから落ち着けって」
と𠮟咤激励されていました。

愛情ゆえの言葉だということは知っていました。

ただ、本を読みながら、
あの時のあれはADHDのせいなのか。
わたし、みんなに迷惑を掛けているんじゃないか。
こんなわたしが子どもとかかわっていいのか。
すごく考えました。悩みました。

もはや、自分の悩みをADHDという得体のしれない(自分でコントロールできないかもしれない)もののせいに感じて、八方ふさがりになっていました。

画像1

当時、何かあるごとに気づきをノートに記録していていました。ノートの前半には、ポジティブな言葉が踊っています。

でも、次第に様子がおかしくなる。読み返すと今でも泣きそうになります。たまに泣きます。必死すぎて、かわいそうで。

そこには「書く文章がいつもネガティブで始まるのが気になると言われた」「そのネガティブ、子どもの前で絶対出すなと言われた」といった文章とともに、どうしてそうなってしまうのか、思いのたけや苦しさが長々と綴られています。

いや、自信喪失してますやん。

別にADHDと診断されていたわけでもなければ、それらしい特性を持っているとはいえ誰かに明らかな迷惑を掛けているわけでもないんですが、ただただ、これでもかってくらい、自信を失っていました。

ADHDなんて言葉を知らなければ、わたしはこんなに悩まなかったのに、とも考えました。ひとりで辛くなっていました。

でも、今はそうは思っていません。

学生時代にその言葉と出会ったおかげで、わたしは、自分の”苦手”が目立ちにくい振る舞い方を身につけました。考え方を身につけました。

おかげで、いま周りの人に「ADHDかもなと思うことがある」と伝えても「え!?どこが!?」と言われます。きっとうまく振るまえているのでしょう。

まわりにさほど迷惑をかけていないなら、その点はよかったと思います。
もしキャンプに出会っていなかったら…ゾッとします。

ただね。荒療治すぎです。当時のことを思い出すと、とんでもなく胸がざわざわするんです(笑)つらかったーつらかった。

みなさんは、まわりに「もしかして?」と思う人がいても、絶対ストレートに伝えないでください。人それぞれ、踏むべき段階や必要な声の掛け方があるはずなので、ぜひそこを考慮してあげてほしいなと思います。

あと、専門のお医者さんじゃない方が、断定して伝えるのはご法度です。と一応書いておきますね。

まわりに「もしかして?」な人がいる場合のふるまい方についても、いずれ書きたいと思います。

書籍購入ほか活動費にあてさせていただきます。