2001年宇宙の旅

何度か見ている。
最近のアマゾンのレビューを見ると、全体に冗長、冒頭のモノリス登場までのシーンが長すぎる、結末が意味不明などと酷評気味。

まあ、私のようなおじさんからしてみると、そうでもない。

まずは人類の歴史の足取りの長さをしっかり感じる必要がある。

宇宙ステーションのシーンは少し冗長に思うが、これは画像を見せたかったので許容したい。

木星探索の旅も少しのんびりしているが、ヒトが宇宙空間で隔離され、AIと対峙するというシチュエーションの緊張感を十分感じられる。

とくにAIが自走しはじめる、AIが間違いを隠蔽する、というような行動に出る経験を孤立した空間で初めて体験する時、ヒトはどう振る舞うべきか。AIによる監視下でどうするべきか。これを疑似体験できるだけでも大いに意義がある。

ジョージ・オーウェルの「1984」は、全体主義と監視社会を関連づけてヒトを強制する恐ろしさを描いているが、この「2001年」はAIが暴走するケースを描いており、一歩先に進んだ気がする。

最後に飛行船が光に包まれていくシーンが長く続くが、これは映画館で見ないと体験できないトリップ感。家庭の小さいディスプレーで評価はできないと思う。

とはいうものの、一体モノリスはなんだったのか。スペースチャイルドとは何なのか?解釈を観客に委ねるにしては、少し緩すぎるエンディングという気がしてならない。

2022年になってもこの旅の世界が実現していないことは、どう考えれば良いのだろう。科学の発展が想定よりも遅かったのか、別のことに人類がエネルギーを使ってしまったのか、まだ月でモノリスに出逢ってないだけなのか。。。

二回目に見たのは米国でタイ人の友人と名画座で見た時。
かれは、この映画はドラッグによるトリップ体験を疑似体験する映画だと言っていたことが懐かしい。

それにしても美しい映像美。

10年たったら、また見よう。

追記(2022年6月15日)
視聴後いろいろ調べていると、基本的なあらすじはHALが木星行きの真のミッションについて船長と会話をしたくなり、船長に話を振ってみたところ、船長は真のミッションを知らないことが判明。そのためHALは真のミッションを知っていることをカモフラージュするため、誤認識をするフリをし、場合によっては船員を最小限まで抹殺する行為に出たのだ、という解釈(筋書き)を知った。
こうした理解をできておらず、お恥ずかしい限りだ。(前みた時にも同じ話があったのかもしれないがすっかり忘れていた。)

ということで改めて流し見。
確かにそういう筋に見えてくる。
AIが秘密をヒトと分かち合うようになるのかという点は興味深い。

しかし、誤認識のフリをしてして誤魔化すAIの戦略はどうも賢い選択とは思えない。船長とAIとの対話はなかったことにしておけば良いし、もしどうしてもというのであれば船長含めてしっかり殺し、冬眠している船員だけを木星に届ければよかった気がする。賢いAIが、船長がマニュアルで宇宙船に入れることを知らないとは思えないし、阻止する行動にでるべきだったのではないだろうか。

ヒトとAIの生死をかけた戦いに勝ったヒトが、スターチャイルドという新たな進化のステージに入れた。ヒトは適者生存しなければならない、という解釈もあるようだが、HALはその究極の戦いの舞台に上がるにはちょっと役不足だったのではないか。

また時間を空けて観てみよう。

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