【ノンバイナリー】無性か中性かは分からないが「女か男か」ではないことは分かった

ノンバイナリー
Xジェンダー
という言葉を知ったのはほんのここ2、3年の話でした。

女と男
二分された性別の、そのどちらにも性自認が属していないことを指すようです。
あるいは部分的にどちらでもある、時と場合によってどっちにでもなれる。という場合も含むのでしょうか?
個人としては明確な定義が分からないためとりあえず「男か女のどちらかにバッチリ性自認が当てはまらない場合」とおおらかに捉えています。

私はこの単語に出会い、とてもありがたく思いました。
これこそがまさに、自分が感じていたどことも言い難い微妙な立ち位置を、微妙なまま言い表せる言葉だったからです。

初めて明確に「性別」というものを「型」だと感じたのは中学生時代でした。
「型」というのは、そこに収まるには収まりきらない部分の形を変えたり切り落としたりする必要があるということです。
あくまで明確に意識し出したのがその頃というだけで、違和感はもっと幼い頃からも感じていました。
保育園時代からずっと男女半々の環境で過ごし、プライベートでは親戚やその知り合い家族の子供達と集まる機会が度々あり、そこでは過半数が男子という状況も経験しました。ちなみに一人っ子で、家庭は私と父母の3人家族です。
私は私の好みに従い、男の子達と公園を駆け回り、ミニカーに大興奮し、一緒になって少年マンガをゲラゲラ笑いながら読んでいました。家では父親と初代仮面ライダーの渋い格闘ゲームで一緒に遊ぶのが楽しみでした。
そしてそれだけでなく、女の子の友達と一緒になればお絵描きを楽しみ、ビーズでアクセサリーを作るのを楽しみ、きれいなドレスを着たプリンセスにみんなと同じように憧れました。
小さかった私に、女の子らしい好み、男の子らしい好み、という先入観は関係ありませんでした。ですが幼児から児童へと成長し二次性徴が近付いていくにつれ周囲の大人の反応は変わっていきました。
大人達には女の子とはこういう振る舞いをする存在であるという認識がありました。そして私がそれを外れようとすれば元の場所に戻そうとしました。
どうやら私は一緒に遊んできた彼らとは違うものとして振る舞わなければいけないらしい。なぜだろう。女だから。男ではないから。女、ってなんだろう……?

ぼんやりとした違和感は、生理が始まり胸の膨らみが目立ち、自身の体が本格的に女性としての成熟に向かい始めた頃、
そして小学校から中学校へと環境が変わったことを機にまた新しい見え方になりました。

中学校へは、多くの同じ小学校の同級生が一緒に上がりました。
そしてとてもびっくりしました。それまで「小学生」だった同級生達が、一斉に「女」あるいは「男」になったのです。
それまでは、好きなコの話は人前で絶対暴露したくないような恥ずかしい話でした。女子達はまるで就職先を探すようにどの男子が気になるかという恋バナを一斉に始めました。男子は下ネタのオンパレードです。下ネタ、というよりは、いかに女性の体を性的に消費するかという聞くに堪えない猥談の嵐です。ひどいもんでした。
個々人の好みではなくただ女と男でデザインの分けられた制服も相俟ってか、彼らが何者なのかよく分からなくなりました。それくらいに一気に皆、変わってしまいました。
ほとんどが「女」になった中で、私はというと「女」のなり方がピンとこず、またなりたいという想いもありませんでした。「男」たちが「女体」を搾取しようとする様子を見せられて「女」になることに恐怖心を覚えたというのも間違いなくあったと思います。
周囲に恋愛やセックスに興味がないのかと散々聞かれてもつっぱねることを繰り返しているうちに心底辟易したように一人の女子に言われました。
「アンタ女捨ててるね」

そもそも、拾った覚えがないんだよな。

「女」でいることの恐怖心を差し引いても、やっぱり自分が「女」だと言い切るのに違和感しか感じない。そうはっきりと思いました。

その後学生生活を生き抜き社会人になるまで、割愛しますが色々な、本当に色々なことがありました。
ここでは詳しく書きませんが、私は女が好きなのか男が好きなのかという性趣向に関する悩みも捏ね回してきました。経験豊富とはとても言えませんがどちらとも関係を持ちました。
初めて男性と付き合った時、私は大はしゃぎの大喜びで女の子の振る舞いをしたりしました。その時に限っては「女」の型に喜んで自分を収めました。中学生時代に覚えた男女の力関係の不均衡からくるセックスへの嫌悪感を、当時の相手と対等にコミュニケーションを取り二人で気遣い合い楽しめたという経験により払拭したことで、初めて自分の性自認と性趣向にフラット(に近い)な気持ちで向き合えるようになったと思います。

そのうえで、私は自身を「ノンバイナリー」と呼ぶことが最も自然だと感じました。

女性の恋人との関係に悩み「男」の役割をこなそうと奮闘したり、男性の恋人の前で「女」として振舞ったり。どちらかの型に自分を収めても、それが過ぎれば自然とその型の中から浮かび上がってくる感覚がありました。

別に、どっちかに無理やり当てはめる必要はないよな。
自分が最もリラックスできる観念に出会えたことは間違いなく良いことでした。

今も、自分の性自認はどこらへんにあってどんな形なんだろうということをより高精度に言い表せるよう手探りし続けています。
とりあえずは、「詳しくは分からないが少なくとも男か女か、ではない」ということだけは分かっているので、それを手がかりにどちらかの性に希釈されずに済む表現を見つけようとしている途中です。

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