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母が大事なものを手放した話


「あ!見て、また25」

母はナンバー25の車を見つけると、口に出さずにはいられない。無論、黒川家の愛車、日産スカイラインのナンバープレートも25である。

そもそも車のナンバーが25になったのは、サッカーの中村俊輔選手の背番号に由来する。両親はそれは熱心な俊さんファンで、特にセルティック時代(2005-2009)はすごかった。

旅先でも試合が観たくて、スカパーが観られる飲食店で別料金を払って試合を観戦。グラスゴーへ試合を観に行くのは勿論(ヘッダーの写真はその時の)、ライバルであるレンジャーズとの大一番を控えた日は「試合があるから早く寝るね」と二人して早めに寝ていた。もはや選手。

スカイラインはその頃、我が家にやってきた。
ディーラーで提示されたいくつかのナンバー候補の中に25を見つけた二人は、喜んで25を選んだ。以来、ナンバー25の車に親近感を持つようになっていった。言われて気づくことがほとんどだけれど、ナンバーが25の車は意外と多い。東名高速を東京から御殿場まで運転すれば1-2台は難なく見つかる。


「今日はもう25の車、3台目よ!すごいわね!お父さんのお陰かしら〜」

父が亡くなってから、母の25への関心はより強くなった。父が25の車を集めてきてくれている!と言わんばかりに報告するので、自分と妹はやや辟易としていたが、気にも留めない。父もわざわざ25の車を集めるほど暇じゃないだろうし、仮にそんなことが出来るのなら、当たりの宝くじでも送り届けて欲しいのだけど。


そんな形見とも言えるスカイラインも、父が亡くなってから8年。購入してから12年。だんだんと維持が難しくなり、手放すか検討する機会が増えた。これだけ愛着のある車だ。母にとってはかなり難しい悩みだったと思う。手放す、手放さない。何度も二転三転したし、いろんな可能性を一緒に考えた。

母はいつも「どうしたらスカイラインを維持できるか」→「そのために自分がどうするか」という順番で考えようとする。その度に「まず自分がどうしたいか」があって、そこにスカイラインが必要かどうか。その順番なんじゃない?と、僕は話した。

息子としては父との思い出に浸る生き方ではなくて、自分の今やりたいことを大事にして欲しい。そんな気持ちがあったと思う。

しばらくして
「スカイラインに長く乗ることで、事故を起こしてしまうことだけはしたくない。だから無理に乗ることはしない。」
と母は言った。

スカイラインはパワーもあるし車体も小さくない。最近の車ではないので、安全性能も付いていない。繊細に運転をしないと危ない車だと思う。実際、車庫入れの際に車を擦ることも増えていた。ポジティブなのかネガティブなのか分からないけれど、実に母らしいなと思ったし、応援したい決断だと思った。

母は長らく、「父のために何かをする」「自分や妹のために何かをする」「祖父母のために何かをする」と周囲の人間から逆算して自分の振る舞いを決めることが多かった。だから、自分は事故を起こしたくない!という理由でも、大事なものを手放す意志を聞けたのはなんだか嬉しかった。こうして、スカイラインは父に所縁のある知人の元へ譲られることになった。


「あ、あのパーキング。25の車が2台も停まってる!きゃーおとうさーん!」

母は相変わらず25を見つけるのが早い。
今では歩いていても、タクシーでも25を探すようになった分、父も忙しくしているかもしれない。



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