Naruki Kurokawa

小さな制作会社をやってます。2016年からは尾山台でFluss というピアノアトリエも…

Naruki Kurokawa

小さな制作会社をやってます。2016年からは尾山台でFluss というピアノアトリエもはじめました。

最近の記事

母が大事なものを手放した話

「あ!見て、また25」 母はナンバー25の車を見つけると、口に出さずにはいられない。無論、黒川家の愛車、日産スカイラインのナンバープレートも25である。 そもそも車のナンバーが25になったのは、サッカーの中村俊輔選手の背番号に由来する。両親はそれは熱心な俊さんファンで、特にセルティック時代(2005-2009)はすごかった。 旅先でも試合が観たくて、スカパーが観られる飲食店で別料金を払って試合を観戦。グラスゴーへ試合を観に行くのは勿論(ヘッダーの写真はその時の)、ライバ

    • たまたま聞いた渋沢さんの話に感動したから聞いて欲しい

      4月の日曜日。二子玉川で開催されていたとあるイベントでのこと。 お約束の偉い人によるご挨拶がはじまった。紹介された男性がマイクの前に立つと、会場は身構えるような空気に包まれる。参加者の多くが「短い話だといいなぁ...」と思うあの感じ。 ところが、その方が渋沢栄一さんの曽孫である澁澤寿一さんであると分かると会場はざわついた。そして、大方の期待を裏切る熱いご挨拶が始まった。 (正確な書き起こしではないけれど、手元のメモからお話を回想する〜) 「渋沢栄一は農家に生まれました。

      • 「九十九社長、良いお年を!」

        終わったドラマの登場人物をこんなに考え続けたことはなかった。 主人公でもない、ましてやドラマ内きっての嫌われ役が頭から離れない。「獣になれない私たち」に出てきた九十九(ツクモ)社長。物語の象徴的な悪役でパワハラの限りを尽くす、まさしく「獣」のような人だ。 最初は僕もウェブ系の制作会社を経営しているので、自分とちょっと境遇が似てる人だなぁ...と思っていた程度。むしろ、境遇が近いだけにそのパワハラっぷりが許せず、ドラマを観ながら僕もツクモふざけんな!と、憤っていた。 それが

      母が大事なものを手放した話