大人になった人は他人に無干渉であるか
大学半ば頃から今日の今日まで長らくの間、「大概の事象、選択は本人の意思に委ねられるべき」と、潜在意識的に「人に対して無干渉である義務」を遂行していた
ただ、つい最近、私が人に対して無干渉を装うことを人に指摘された
無干渉を装うこと、というよりは、実際に相手に対して無干渉なのが 私の真意であると伝わっていた(おそらく、意図的に真意であるように見せていたのだが)
私は相手やその他周囲に関心がなく、故に信用して良いのかわからない、と
自分は絶対に、素直な感情を失った大人になりたくないと強く思っていた
けれど、それとこれとが完全に矛盾していたのかもしれないとも思った
人に無干渉になればなる程、気づかないうちに なりたくなかった大人になっていたのだと
恋人の束縛や 友人のおせっかい、自分が実質的な迷惑を被らない事象に関する人への悪口、芸能人の素行への見解の発信、それらを積極的にするべきとまではまだ思わない
しかし、相手が自由に選択をする権利は尊重する他方で、自分の気持ちの意思表明はしても良いかもしれないと思った
今年は意図的に失わせていた感情を取り戻す
25歳春、進捗壱
明日なれば 今日の思いは泡となり
泡を合わせて 桜萌えゆる
関係ないけど最近ずっと聴いてる曲
吉澤嘉代子「残ってる」
▼nrchi(黒ギャル 借りた金は返すな)
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