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なぜ「まっちゃまち」か?(その1)

松屋町とは  松屋町とは、大阪市中央区松屋町、松屋町住吉の周辺をさす。大阪メトロでは心斎橋から長堀鶴見緑地線で東へ2駅である。長堀通(国道308号)と松屋町筋の交差点付近でもある。人形・玩具・駄菓子・花火などの卸問屋街として知られている。モリシゲ、増村、福板屋(閉店)などの人形店は有名であろう。  しかし、松屋町は謎だらけの町である。 第1の謎 松屋町はいつできたか  一般的には、大坂夏の陣の後、大坂の城下町復興のため、瓦職人が集まってできた町だとされている。瓦職人が人

    • なぜ「まっちゃまち」か?(その3)

       前回まで、昭和までの松屋町について述べてきたが、さらに現代の松屋町について述べていきたい。 合区と松屋町住吉  平成元年の合区により大阪市中央区となり、松屋町と住吉町も「松屋町」となる予定であった。しかし、祖母を含めた住民が「住吉屋藤左衛門の名前を消すとは何事か」と猛烈に反対し、住吉町は「松屋町住吉」となった。  住吉屋藤左衛門とは17世紀末ごろに南組惣年寄として住吉町を開発した人物だとされている。住吉屋藤左衛門は大阪でも決してメジャーな存在とはいえず、私も祖母と母以外

      • なぜ「まっちゃまち」か?(その2)

         前回では、主に戦国時代の松屋町について、考察してきた。今回は、江戸時代以降の松屋町について述べる。 末吉橋  大阪メトロ「松屋町」駅は、当初の案では「末吉橋」になる予定だった。当時は、交差点もバス停も末吉橋で、松屋町へ行くときは末吉橋で降りると覚えていたものである。  松屋町には、東横堀川と長堀川という2つの川が流れていた。末吉橋は松屋町交差点から西側で、東横堀川に架けられている。平野の豪商、末吉孫左衛門が架けたとされている。 将軍と平野商人  平安時代に東北遠征を

        • 「ストーリーで語る」62ページに 掲載されました。

           これはフォロワーから見たもう一つの「ストーリー」である。  あっきゃんさん(以下敬称略)の著書「ストーリーで語る」(CCCメディアハウス)が、1月出版され、62ページに私のことも少しだけ触れられている。このエピソードは、関係者の間では知られているし、スペースで一度あっきゃんが話しているが、あまり一般には知られていないと思う。本に掲載されたこの機会に、このエピソードに触れてみたいと思う。 ヘッダーとの出会い  令和2年(2020)12月、私は休眠していたTwitterのア

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        なぜ「まっちゃまち」か?(その1)

          独断と偏見によるあっきゃん構文の 文学的アプローチ

           これは、「あっきゃん構文」に関して、文学的アプローチを通して、個人的な感想を述べたものである。私自身が文学の専門家でもないし、あっきゃんさん(以下敬称略)本人が古典に詳しくないこともあり、公表はためらっていた。著書出版の機会に、あえて感想文を出してみることとした。 枕草子はつぶやきの文学  Twitterのツイートで多いのが、「私は〇〇が好き」「○○はおいしい」というように、一方的に感想を述べるものである。まさに、枕草子に見られるスタイルである。  枕草子はつぶやきの文

          独断と偏見によるあっきゃん構文の 文学的アプローチ