日記 #100 2021.12.20 「マトリックス レザレクションズ」

「マトリックス レザレクションズ」を見てきたよ!!!!!!!!!!!!!

旧3部作と新作のネタバレ含む感想なので嫌な人は読まないでね!













で、まぁなんだ、前作から20年近く経ってるわけよ。キアヌもキャリー=アン・モスも壮年というか若干もうおじいちゃんおばあちゃんに片足突っ込んでない? どうすんだ? という感じで映画がおもしろいかどうかはともかく「どうやって整合性取るの?」てのが見る前からずっと気になってたわけ。

というのもどっかのなんかでレザレクションズは旧3部作の1と2の間の話になるとか書かれてて、すっかりおじさんになったキアヌのビジュアルで? どうやって? というか予告編ではみんなスマホ使ってたが? とかなって、まぁでもマトリックス内のビジュアルって実際と違ったりするしなんかそういう都合つけるんだろうなと思っていたんですね。実際見たら全然ちゃうやん、普通に続編じゃん、てなったわけだけど。

ねぇ、普通に続編でしたね。むしろびっくり。なんかそんな正直に作らんじゃろと思っていたので。だって旧3部作のひねくれ具合をご覧よ。それが当時は(今でもだけど)おもしろかったんだけどさ。本当に同じ監督が作ったとは思えない、まっすぐでサービス精神マシマシで誰にとっても(ではないが)ハッピーな映画だったなぁ、という印象。そして自分はそれでよかったと思ってます。

旧3部作はネオもトリニティーも最終的に死んじゃって、それによってマトリックスに安寧をもたらし、人類対機械の戦争も終わらせてという感じで、救世主としての自己犠牲で終わったじゃないすか。なんというかメリバ(メリーバッドエンド)的な感じもあって。それはそれできれいな終わり方だったし、そういうところが好きだというマトリックス人(マトリックスじん)もいると思うので、もしかしたらそういう人からすると「はぁ? なんじゃこれ?」と思うかもしれんよね。

とはいえ自分は最初からレザレクションズを「本人たちによる二次創作」と見做していて、もう何があっても大丈夫! 知らんけど! というスタンスだったので結構受け入れられた、という感じか。とはいえなんか微妙だな、よくもわるくもねぇな、みたいな中途半端な感じでやられてたら多分すごく嫌だったので、今回みたいな「とにかくみんなが喜びそうなこと全部やっちゃうよ! 見といてくれよな!」みたいなポリシー、全体に通った軸を一本感じられたので自分の好みとは関係なく「よかったな〜」と思えたんだと思う。もう1回見たいけど映画館あんまり好きじゃないのでブルレ買おうかな。


さて、思い出語りといこうじゃないか。思いつくだけ書いてみるよ。

冒頭、無印をなぞるような演出に「マジの二次創作じゃん」て思ったけど、全編通して過去作の演出をなぞるセルフオマージュみたいなシーン多くて(スミスのボコボコパンチとかスミスバーンとかヘリから薬莢がバラバラ落ちてくるカットとか)監督のファンサ心(ファンサごころ)を感じる。全部やってやんよ! みたいな気持ちを。やってやんだ! 全部やってやんだ!

でも前半の「マトリックスは実はゲームでした〜」みたいな下りではちょっと「これはヤバいかもしれない」と思っていました。あの企画会議とかねぇ、あっ! あっ! ヤバいかもしれない! てなってた。でも後で思えばここらへんでわかりやすくメタいネタを突っ込んできたのも監督のファンサなんじゃろうなぁ。「マトリックスと言えば!? バレットタ〜イム!!!」とか言いたいもんね、でもこういう流れにしないと確かに入れらんないもんねと思って「全部やってやんだ」の発露なのかなと。

メタいネタといえばバチェラーの人みたいなイケイケくるぶし丈ズボンのボスの部屋にレボリューションズでブン殴られた瞬間のスミスの胸像みたいの置いてあって「フフ…」てなってたんだけど、そのあとでボスがスミス本人だったということがわかって「どういう感情?」てなった。普通にヤバの人じゃん。プログラムの感覚はようわからんね。

で、最初のバッグスたちの会話とかモーダルが消えた云々ていうのはリアルタイムでは意味わかんなかったんだけど、つまりあれアンダーソン君がプログラミングとしていじってたゲームのマトリックスが実はガチのマトリックスに反映されてて、それがテスト兼ねてアップグレードに使われてたってことなんだろうかね。だから色々やってる中でゲーム中の要素としてスミスとモーフィアスを合体させてみたりしてたらそれがプログラムとして成立してみたいな感じすね。いや、やらすなよ、ネオ本人にそれを。色々思い出しちゃうだろうが。プログラムの考えることはようわからんね。

あとやはり注目すべきは新幹線でしょうか。めでたいことに米帝の日本観がフジヤマ・ゲイシャ・スシ・テンプラからアップグレードされてフジヤマ・マスク・シンカンセンとなりました。いやこれもう絵面が「新感染」なのよ。あっちもアジアだけど! ちゃんとして! 日本好きなら! でもどっちかというと監督わかってやってるような気もする。容赦なくバンバン撃ち殺される(たまに車外へ放り投げられる)日本の中高生という絵面が見られます。珍しくてよかったね。

で、本当に今回絵面がゾンビものなんだよな。ここらへんすごくゲームっぽくて、それこそ「マトリックスはゲームだった」ていう設定と繋がってるんだろうけど、ゲームとしてアップデートが繰り返された結果、マトリックスもゲームっぽい感じになっちゃってるのだろうか。旧3部作では「バーチャル」が市井に広がっている、みたいな描写はまだできる時代じゃなくてゲームとかもなかったと思うんだけど、今ならバーチャルに一番近いところのメディアは確かに「ゲーム」だと思うので「今のマトリックス」だなぁと感慨深い。スウォームとかもうまさにわたくし「デイズ・ゴーン」ていうゲームをちょっとやってたんだけど、まさにという感じだった。

その流れで人間爆弾とかいってビルから人を飛ばしまくって襲ってくるところもすごくゲーム的な、コンプラ的には絶対ダメな絵だと思うんだけど「これゲームだから」で許される描写になってるんだろうか。そしてほんのり香るシャマラン感。マトリックスでシャマランとか最高じゃないですか。あくまで個人の感想ですが。カツカレーか? カレーと麻婆豆腐の相盛りか? さらにシチューもいっちゃうか? 人によっては最悪になる可能性がある。

あとはねぇ、バッグスとかシェパードとか新キャラも全体的によかったですねぇ、性格もデザインも。仲間の裏切りとかも特になく、本当に平和な、のほほんとしたマトリックスだった。瞬間的にスミスと共闘するくらいだからねぇ。ザイオンじゃない、名前忘れたけど新しい街もめっちゃ平和だもんな。いちごおいしい。ブルーベリーもあるよ。

なんか基本的に平和で人類対機械の戦争が終わっているというところもポイントで、それによって課題が「いかにトリニティーを救い出すか」だけになってんだよな。バリバリSFな世界観を背景にしつつ本当に純愛ラブロマなんだけど、それをやってんのが還暦間近なおっさんとおばさんなのよ。いやいいんだけど。この2人のラブラブちゅっちゅを見たい人がいるのかと、いやいるんだけど、それはもうマトリックスファンしかおらんのよ。

最終的におじさんとおばさんが手を繋ぎながら空をビュンビュン飛びまくるんだよ。どういう絵面だよ。誰がそれを求めてるんだ。やっぱりこれマトリックスのファンのためのファンサムービーなんじゃないかなと思う。昔ながらのファンは(実際そういう絵を求めているのかどうかは別として)あれ見たら「スフフ(鼻笑」てなっちゃう気がする。もう全方位的にハッピー。トータルとしては変な映画。つかエンドクレジット後のおまけパートで「Catrix」とか言ってたけど思い返せば実質「Catrix」だったな。どこまでアホなんだ。いいですね。

まぁなんかやっぱり「本人たちによる二次創作」という認識はそんなに間違っておらず、ただその軸にあるのがファンサービス精神で、言うなれば「お前らこういうのが見てーんだろ!? マトリックスめっちゃ売れて金も調達できるから作ったったわガッハッハ!」ていうファンサの極地みたいな映画ですね。それが「マトリックス」ていうテーマでやってるというのも感慨深い。これによって「マトリックス」のレイヤーは、より複雑になったということなので。

20年好きでよかったマトリックスという感じすね。ラナ監督、ありがとうございました。次作はさすがになくていいです。おわり。

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