見出し画像

多世代で交流できる拠点でひとり親家庭の子育てを応援 団欒長屋 渕上桃子さん vol.1

NPO法人福祉のまちづくり実践機構ではホームレスや障がい者、ひとり親家庭など職につくことが難しい人たちを就労につなげるしくみづくりとして、「行政の福祉化」の発展につながる調査研究に取り組んでいます。
このnoteでは、「行政の福祉化」に関わるさまざまな情報をお届けしていきます。

豊中市蛍池にある団欒(だんらん)長屋は一軒家をリノベーションしたアットホームな保育所。子どもを真ん中にした多世代交流の拠点をめざして作られました。
現在は乳幼児保育、学童保育を軸に、公益事業としてこども食堂夕食付き無料学習支援事業なども行っています。
シングルマザーで子育てをしてきた経験から、こんな場所があったらいいなという思いを事業化してきた代表の渕上桃子さんにお話をお伺いしました。

1回目は団欒長屋を始めたきっかけについてです。

・・・
団欒(だんらん)長屋


豊中市の蛍池で2013年に開設。0歳児〜就学前の子どもを預かる認可外保育所、小学生の児童を預かる学童保育などの保育事業を行っています。
毎月第3土曜日にはこども食堂、毎月第1土曜日の夕方には軽食付きの学習支援も行っています。
親子だけでなく、地域の学生やリタイア層などがゆるく関わり合いながら子どもを真ん中にした多世代交流の拠点をめざしています。

・・・

「あったらいいな」をかたちにした


ーー団欒長屋を始めるまでの経緯について教えてください。

 2013年に学童保育から始めました。ここを立ち上げる前に仕事で関わりのあった民間学童保育さんが閉めると聞いたので、関わっている学生ボランティアさんや利用しているお子さんや保護者さんごと引き継ぐかたちでスタートしました。

 学童保育をやっている間に保育士の資格も取りました。元々私がひとり親で知らない土地に来て預け先に困ったり、育児に関わる大人が私と保育所の先生ぐらいしかいないことに不安を覚えて、多世代で子どもを見守るようなコミュニティがほしいと思って始めたんです。
 ちょうど2016年に「保育所落ちた日本死ね」というブログから保活問題がものすごくクローズアップされたことがあったのですが、そのときに保育所として開設しました。



ーー利用はひとり親の方が多いですか。

 保育はそうでもないですが、こども食堂や学習支援は8割9割ぐらいです。保育はプレシングルの方がいらっしゃって、離婚前相談も受けています。あとは、他市から転入してきて保育所に入れなかった方なども利用しています。

ーーご自身で感じた困りごとを形にしたところから始まったんですね。

 そうですね。始まりは自分の困りごとからですね。地域の課題や困りごとを解決するために、自分があればいいのにと思った事業を始めたんです。今もそうですが、ひとり親家庭のニーズを聞いて、それに対して柔軟に即時的に対応しているうちに、いろんな事業が広がっていきました。

周囲の困りごとから事業が広がる


ーーそこからこども食堂も始められたんですよね。

 2013年に学童保育を始めたときから来てくれていた小学生の男の子のお母さんがいたのですが、「ちょっと子育ても落ち着いたし地域でいろいろやりたい、団欒に恩返ししたい」という気持ちから、「やってみたいからここ貸してくれへん?」となって、2017年から毎月第3土曜日、こども食堂が始まりました。

 ーーコロナ前に一度見学させてもらったときは本当にたくさんの方が利用されたり、お手伝いされていたので驚きました。

 最初は子どもたちと一緒に調理をするところから盛り付け、配膳、片付けまでしていたんですけど、今はリスクも高いのでお弁当を60食ほど作って配っています。外でミニ縁日や工作教室などをしてお弁当を取りに来た方と交流をはかっています。

 お弁当だけだと段取りとか効率ばかり重視になってしまいます。交流が一つもないと味の感想が聞けないし、作ってる人たちもしんどいよねということだったので、つながりを重視する意味で交流会を始めました。

ーー学習支援を始められたのはコロナがきっかけなんですか。

 学習支援は第1土曜日の夕方にやっています。コロナ中にお弁当を渡していたときにあるお母さんから、自分の子が「学校が休校あけても学校行かんようになった」というような話を聞いて、居場所として自習したりボードゲームできるようなところを作れたらと思って始めました。
 休校で家での食費が結構かさむという話も聞いていたので、それなら夕飯つきの無料の学習支援を月1から始めてみようということになりました。コロナが厳しいときは夕食はご家族分もお弁当をお持ち帰りしてもらっていたんですけど、今はここで食べてもらっています。

 ーーこども食堂や学習支援はボランティアで運営されてるんですか。

 近所の方やひとり親の方が来てくださっています。この辺りには一人暮らしの阪大生も多いので、近所の大学生が勉強サポーターとして来てくれています。謝礼としてはお米など食材になってしまいますが一人暮らしの学生にとっては助かっているようです。

 

ーー食材はどうされているんですか。

 食材は寄付でまかなっています。有機農業の農家さんと年間契約をして、団欒のためにお米を毎月届けてくれるような支援者や、豊中で家庭菜園してる方がいてくださるおかげですごく助かってます。以前に阪急阪神の助成金をいただいたことがあった関係で、阪急阪神ビルマネジメントのビルに入ってるテナントの会社さん全員が参加できる農園部というサークル活動でできた野菜を大量にいただくこともあります。

 また寄付金の受付や、助成金を取るなどして、広くPRしつつ地元の方たちに応援していただいています。ほかにはAmazonの欲しいものリストを公開しておくと、匿名で全国から商品が届いたりします。そこに保存食や子ども1人でも作れるような即席のものを登録しておくと、支援者の方が買ってうちに送ってくださったりするんです。

ーー保育という収益事業だけでなく、学習支援やこども食堂を始められた背景にはどんな思いがあったんでしょうか。

 私自身、職も住むところもないような状態で豊中に来たときに、保育所と職探しを同時進行してものすごく苦労したんです。そのときに就職させてもらえたのが、ひとり親の就労支援をしているところでした。娘が1歳になるかならないかの頃に預け先がなかったので一時保育に預けて週3で働きに行っていました。
 だけど、預けた先で病気をもらっては熱を出して、熱でお迎えに行くことがしょっちゅうでした。そんなときでも会社の方は、嫌な顔一つせず「行っといで」って帰してくれたんです。そこからステップアップしてその後の生活を立て直せたので、すごくありがたかったです。だから、私も恩返ししたい気持ちがありました。

 次回はこの地に縁のなかった渕上さんがいかに地域に溶け込んできたかや、地元の方との交流についてと、コロナ禍での活動について伺います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?