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不登校を乗り越えるべき壁として捉えるか、前向きな糧として育むことができるかを絶対に運任せにしてはいけない

今日は、教え子の結婚式。

1年前に結婚すると報告をもらい、それから式を挙げるので乾杯の音頭を取ってほしいと連絡が。

会社の上司は?と聞くと来賓でとのことなので、悩みながらも引き受けさせていただくことになりました。

というのも、僕は学校の先生でもなければ上司でもなくましてや親族でもありません。
彼が不登校だった中学生の時に出逢い今や家族同然だと思ってはいるものの、式に出席される方からすれば「誰?」と思うかもしれないし、なんなら消し去りたい過去かもしれないのでそんなめでたい場所にいるべきではないのではないかとも考えていたからです。

ただ、当然彼もそんなに頭が悪い訳でもなく、僕を招いてくれて乾杯の挨拶をお願いしてくれたということは、自分が果たすべき役割があるんだろうと思い直し出席させていただくことにしました。

さて、早速お祝いの言葉を考えるのですが、

「ただいまご紹介いただきました新郎ひろゆきくんの〇〇にあたる三科と申します。」

という○○の部分、どうしたらええねん。となりました。

んー、ここを話すと長くなるし自分で恩師とか言うのもちゃうし…
というか、出逢いのきっかけ話すん?
ご家族からすればえぐられたくない所かもしれんし、もしかしたら親族には隠してるかもしれん。

「そうや、本人に聞こう」とも思いましたが結局元に戻ります。

僕に挨拶をお願いしたということはそういうことなんだ。

意を決し当日を迎えました。


場所は思い入れのある神戸。
天気は相変わらず最高。
晴れ男を体現しているかのような明るい性格の彼らしいなぁととても気分よく会場まで足を運びました。

受け付けは職員の上岡。
上岡も同じ不登校仲間で新郎は同級生。

受付の前に、挨拶で使うための画像データを入れたDVDRをスタッフの方にお渡しするはずが、事前に電話をしているにも関わらずあたふたとされている模様。

あれ?もしかして伝わってなかったのかな?使えへんかったらどうしよう…と既に変な汗が噴き出してきました。

担当の方が来られ何とか無事に打ち合わせ終了。
新郎には内緒で出逢った時の写真や「ここ」でボランティアをしてくれている時の写真を準備しました。

受付に戻ると新郎のお母さんが挨拶に来てくれました。

中学生の時から家族の事情は聞いていたものの、お母さんにお逢いするのは初めて。
今までの感謝と今後も遊んでほしいことをお伝えしました。


上岡が新郎の友達を紹介してくれ挙式の会場へ。

泣くまいと決めていたものの新郎が入場する前から号泣してしまうという事態に自分でもびっくりしたものの、式が始まると幸せな空気が会場中を満たし何ともいえないいい気持ちに。

いつもの照れ笑いで緊張を隠す新郎。
いつまで経っても変わらんなぁと再び涙腺崩壊。

挙式が終わり披露宴へ。

何度もトイレに駆け込みブツブツと小声で挨拶の練習。
完璧に暗記ができているにも関わらず、不安は拭い去ることはできず緊張感が増す。

本当に不登校だったことを言っていいのか?
挨拶の内容を今からでも変えるべきではないか?

そんな優柔不断な自分が邪魔をしていると、来賓の方のご挨拶があり二人のプロフィールや僕の紹介を司会の方がしてくれました。

そこで、学校にいけなかったことややんちゃだった時のことが明かされ、僕の肩書も説明してくださったことで覚悟が決まりました。

出逢った時のエピソード、肩を組んで写真を撮ったにも関わらず「馴れ馴れしくすんな」と腕を振り払われたこと、「ここ」でゲームのコントローラーを離さず無邪気に遊んでいたこと、一生懸命働いたお金で毎月かかさず寄付をしてくれること。

そして、不登校だったこと。

挨拶が終わると、すぐにお父さんが僕の前に来てくれました。

もう、二人で泣きながら話をしました。詳しくは後ほど。


披露宴の最後に、新郎からご家族へ向けての言葉がありました。

彼らしい素直で真っすぐな挨拶。

抱いていた劣等感、学校へ行けずに迷惑をかけたこと、自分なんてこの家にいない方がいいんじゃないかと思っていたこと、そしてこれからたくさん感謝を伝え恩返しをすること、家族への愛。

同じテーブルに座っていた新郎被害者の会の皆も、それまでは新郎をいじり倒していたのですが皆号泣。

それぞれに新郎への温かい想いが溢れていました。


披露宴が終わり、神戸の海を眺めに行きました。

とてもとても幸せな気分であることに違いなく、本当にこの仕事を続けてきてよかったと思いました。

それと同時に、新郎や新郎のお母さんお父さんが自分を責めていたことが悔しくて悔しくてたまらなくなりました。

乾杯の挨拶が終わった後、お父さんが泣きながら言ってくださったのは感謝の気持ちだけではなく、自責の念もありました。

お母さんに苦労をかけたと皆が言いました。

なんやねんこれは。

一体いつこの問題は解決すんねん。

この子が不登校になって15年やぞ?
15年も自分を責め続けさせるこの「不登校」って社会が生み出した怪物にどれだけの人が苦しめられてんねん。

絶対に本人も家族も悪くないのに学校へ行けへんってだけでどんなけ不利益があんねん。

やる気あんのかこのクソみたいな社会は。

たまたま新郎が、素直で人を引きつける魅力もあってしんどい思いもしたけど完全にドロップアウトはすることなく育った子で、今日こんなに幸せな新しいスタートが切れたかもしれんけど不登校の子たちの未来がたまたまの運任せであっていいわけないやろ。

お母さんはたぶん想像もできひんくらい大変な思いをしてきたはずや。
そんなもん普段保護者の皆さんと話したり相談を受けてたら誰でもわかる。

学校に行ける行けない関係なく全ての子どもたちとその親への学校以外のサポートと情報と居場所と教育を受けることができる場所が絶対に必要なんや。

せめて自分が関わった不登校の子どもたちと家族は学校に行ってる行ってないに関わらず全員幸せになってほしいんや。

そのために今から何ができるんや。
これから何ができるんや。

やらなあかんねや。

一人ひとりが声を出して動いてこの社会を変えていかなあかんねや。

きれいごとちゃうぞ。
これは使命なんや。

子どもとその家族の命と幸せを守るムーヴメントなんや。


ひろ、おめでとう。
生まれてきてくれてありがとう。
今度またオススメのプロテイン教えてな。

最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。



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