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いなくなって思うこと

先日のnoteでも触れましたが、2024年5月17日愛犬が虹の橋の袂に旅立ました。
小型犬でも18という年齢はなかなか大したものだと思います。
テリア種で気が強くてしっかりものだけど、眠る時はベッドに必ず潜り込んでくるお茶目な犬でした。(寝返りをすると怒られるんですけどね)
妹分は同居の同犬種で、彼女は2022年に一足先に虹の橋の袂に渡りました。近所の犬達に好かれる二頭でした。
妹分はペットショップの売れ残りで、突然連れて帰ってきたにも関わらず、よく面倒を見てくれた姐さんでした。
妹分の持病が悪化し自宅療養4日目にして亡くなったのですが、この4日の間普段は厳しい姐さんがほぼ隣にいたのは、犬なりの看取りだったのでしょう。
妹分が亡くなって、お腹を壊しやすくなりあっという間に目が見えなくなり一気に衰えた様子は、動物にも相棒ロスがあるんだなと感じざるを得ませんでした。

犬の年齢と体調を考えると覚悟していたつもりのことで、永く暮らした自宅で看取れたという思いと、もしかしたら病院に入院してればあと少しいてくれたかもという思いが未だにあります。
愛犬がいなくなってすでに4ヶ月、でもまだ4ヶ月。
家の中チャカチャカした足音がないことがとても寂しく感じます。
帰宅すると、見えない目ながら玄関まで来てくれて。いまはハグをすることもできなくて、使っていた毛布はまだそのまま。

最近思うんです。
命と一緒にいられる時間は決まっている。それがペットであろうと、人であろうと。
どんなに手をかけてもお金をかけても、必ず別れに多かれ少なかれ後悔があるものですね。
「前向きに」とか、「この経験を糧に」なんて言葉は今はいらなくて、ただ大好きだった犬たちを思い出す時間なんだろうな。
情けないことですが、私はまだいてくれてありがとうという心境にはなれてはいないようです。
愛する対象が、自分の生活の中に溶け込んだ記憶はふとした時に思い出す。

よくお話を聞いてもらう方には「悲しい時はしっかり悲しむ、忙しさを理由して感情から目を背けない」と言われました。
弱音を吐いてもいい、泣いてもいい
そんな心境になっているこの頃です。


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