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先生はできる子が好き

「できる子の危険な落とし穴」

幼児指導・小学生指導・中学生指導、子ども達の前で指導を始めて37年が過ぎました。37年前、新米の私は幸運にも水野茂一先生のサブとして授業に入っていました。その最初の授業で水野先生の凄さに圧倒されることになります。姿勢、声、表情、身振り手振り、板書、ほめ方・認め方・しかり方・引きつけ方等、未だに水野先生の授業を上回る先生はいません。この間、水野先生の授業に近づくことを目標にしてきました。

どんな先生が良い先生なのか、それを判断するのは難しいことです。しかし、教材で教える先生は本質を伝えることができないようです。また、大変言いにくいことですが、指導案通りにこなす先生は、子どもの変化に疎く、余りよいとは言えません。予想される子どもの反応を想定し授業案を作成しますが、授業案通りに進める傾向のある先生は、子どもの気付きや発見を無視する傾向にあります。先生の指示に従い、言うことをよくきく子どもを可愛がる傾向の先生は要注意でしょう。

授業では教具を使用する場合があります。この教具を扱えない先生が増えています。私は先生の力量を見る際、この教具の扱い方を見ます。教具の扱いが下手な先生は、言葉で指導し、言葉で制し、言葉で理解させようとします。このことは学習の強要を意味しています。

今後、子ども達は、新指導要領の展開する教育現場で、知らず知らずの内に落ちこぼされていく危険性を孕んでいます。すると、民間教育である私たちの授業スタンスは自ずと変化してきます。時に、民間教育でも数多く問題を解かせる方向に走ります。分かったつもりの子ども達を作り上げてしまうのです。教師として、与えられたプリントを全てやりきる姿勢はすばらしいと思います。本来、全ての子がやりきれるだけの能力があれば。しかし、全ての子がそれだけの学力を有していないとすると、その教材消にはどんな意味があるのでしょうか。授業は、問題消化の為にあるのか、もしそうだとするとその授業は演習のみとなります。演習は家庭でもできることで、家庭学習の一つの目標です。

教師にとって、もっとも怖いのは「分かったつもり」の子ども達を授業で作り上げてしまうことです。理解を得るにはどれだけの指導が必要なのかを理解していなければなりません。当たり前のことですが、授業は一人の優秀な生徒を育てるのではありません。また、優秀な子であっても、問題の本質をしっかりと理解しているかははなはだ疑問です。そのため、問題の解法手順を言葉で説明させるなどの工夫をします。基礎教育では難しい問題を数多く与えるよりも、その問題の本質となる問題を数多くこなすことが大切でしょう。これから、3教科受験から5教科受験が一般化されます。思考力を更に要求されてきます。ある先生から、タイルの研修を受けていて閃いたことがありますという報告を受けました。タイル操作から閃いたそうです。それは、「15-9」を「16-10」とする発想です。数字だけでなく、タイルを使用することで浮かんだ閃きです。

最近の傾向として「面倒くさがる子」の増加を指摘してきました。しかし、それは、保護者側、指導者側にも見られると言うことを敢えて付け加えておきます。子ども達は実に様々な思考を持っています。本来はそうでなければいけないのですが、家庭においても、教育現場においても、できる子、従順な子がもてはやされます。疑問は大切な学習の源です。プリントをこなす授業ではなく、プリントが理解と認識の確認となる指導が理想です。

この指導を受けてきた子どもが、今春国立大にめでたく合格したという報告をさせて頂きました。今回もまた、この指導をして頂いている愛知県の塾から国立大(東大)の合格者が出たと報告を受けました。嬉しい限りです。

2013/4/15


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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