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疑問「独り言」

「アイデンティティー」存在の自己証明

夜の闇を照らすライトの奥から「声を出して、助けてと」お母さんらしい方の悲鳴に近い叫び声がこだました。広島県安佐地区で起きた土砂災害からの現場リポートだった。11歳と2歳の兄弟が帰らぬ人となった。胸を締め付けられるシーンだった。

 天災と人災が重なった痛ましい事故であり事件だ。無理な宅地造成、無理な開発、今もなお続く危険な状態に、被害に遭われた方々は、これからの生活を考える夜も眠れぬ日が続く。果たして、この事故は想定できる範囲であったのだろうか。

 高校時代、背伸びをして哲学書を読んでいた。そして、朝日ジャーナルを愛読し、社会や政治にも関心を持っていた。自分自身の「生き方」を見つめていた頃だ。当時の本は、今も書棚に並んでいる。社会正義など真剣に考えていた。若かったと言えるが、その時は真剣だった。今の高校生とは周囲の環境が違う面があった。実際、社会全体が、様々な事を思い、考える時代であったように思う。公害問題や原発問題も社会問題として取り上げられていた。当然、政治の世界では「安保」があった。私より年上の多くの大学生が政治活動をしていた時代だ。その後、若者達の間に「三無主義」が広がった。無関心・無責任・無気力、どこか今の時代と似ていないだろうか。

 報道関係の船が辺野古の沖から、新しい米軍基地の地域へ進むと、海上保安庁のボートが近づいてきた。沖には、海上保安庁の船舶が11隻も集結していた。その光景はまるで尖閣諸島に向かう日本船を取り囲む中国船のようだ。今までも日本の中でこうした光景はよく見かけた。辺野古の海は美しかった。蒼い海の底に珊瑚が見える。ここで大きな疑問が浮かんできた。保守や革新というイデオロギーを抜きにして、この美しい辺野古の海を守る事は自然と沸き上がる人としての思いではないだろうか。国を守る、国民を守る、家族を守る、子ども達を守るという立場で考えると、この海、この自然こそ守るべきだと素直に思った。ここに基地を作って守るべきものとは何か。沖縄に新たな基地が必要なのか、素朴な疑問がまた出てくる。そして、海上保安庁は何を守っているのだろうかともう一つ素朴な疑問が沸いてきた。彼らが守っているのは、「民」ではないと感じた。美しい自然でもない。間違いなく時の権力だのだろう。「命令だから仕方がない。」そう考えているのだろうか。しかし、いつからこうした光景が日常化してきたのだろ。特定秘密保護法・集団的自衛権、そして今回の辺野古の強制測量、私自身のアイデンティティーに従うならば、こうした行為を断じて認める事はできない。

 先日、テレビで「少年H」という映画を放映していた。かつて、教育は時の政府と一体となり、戦争に加担した事実がある。新聞や報道関係も同じだ。一連の政府、地方自治体の行動を見れば、主体は誰かが見えてくる。いや、そう想定できる。だからこそ危機感を感じてしまう。今、私達の日常生活が脅かされている。想像力を巡らせば、間違いなく最悪の状態が想定できる。自分自身を支える考え方を持つこと、今、私達の存在価値が問われているのかも知れない。

2014/8/21


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川先生監修!

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