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影響を与える大人(独り言)

「W先生」

「学ぶ」、学生時代は半ば嫌々こなしてきたという思いがある。私は、中学の女性数学教師と相性が悪かった、えこひいきはする、できない生徒をバカにする、それ以上に無視をする。授業中順番に当てられるのだが、できないと思われる生徒は飛ばされる。こうして教師からクラスの中でレッテルを貼られる。公然と行われていた教師による「いじめ」だ。担任も同じようなものだった。問題ではないかと指摘すると、指摘した生徒が次なるターゲットになる。今も昔も変わらないいじめの構図が見えてくる。この話には驚きの結末があった。担任と数学教師が不倫関係にあったのだ。ここまでくるとことばがない。

高校に進学するとまたも女性の数学教師に当たってしまった。ところが、中学時代の教師とは全く違っていた。あれほど気の入らなかった数学の授業が楽しくなってきた。高2の定期テストで100点を取ったときの感動は忘れられない。もともと数学は嫌いではなかったが、W先生のおかげで数学は得意科目となった。

「K先生」

もう一人忘れられない先生がいる。担任のK先生だ、英語を担当されていたが、中学の教師とは正反対の人格者だった。私の母校は、中高一貫の私立校であった。あるとき、学校の周囲が騒がしくなっていた。パトカーや機動隊が校舎周辺を囲んでいた。時代は1968年、学生運動が全国に広がっていた。東大方向から、多数のデモ隊がやってきた。

私も学生運動に興味を持っていた。母校の先生方は非常に冷静だった。そして、政治について興味を持つことを当たり前のように受け止めて頂いた。その後、先生方とは様々な話ができた。時にそれは校長室で行われた。卒業式では、当時、「卒業式粉砕」などと荒れた式が多かったが、「暴力敵に卒業式を壊す事は考えていません」とはっきり校長に申し上げた。ただ、卒業生代表として答辞を読む際、若者の考え方をしっかり述べさせて頂いた。精神的に成長させて頂いたのはK先生のおかげと今も感謝している。

「水野茂一先生」

社会に入り、信託銀行の業務を経験してから、友人のすすめで幼児教育の世界に飛び込んだ。ここで出会った先生に衝撃を与えられた。故水野茂一先生がその方だ。授業を見せて頂いた時、立ち姿、声、表情、板書、授業展開全て、今まで見たこともない完璧と言われる授業が展開された。子ども達からの信頼も厚く、私も授業に引きずり込まれてしまった。子どもは、「出会いの師」によって大きく変わる。数学であっても英語であっても、幼児でああ手も、高校生であっても、先生の人間性は大きく子ども達に影響を与えることを知った。この時から、私は授業だけでなく、講演会も含めて水野先生を手本として学んできた。本棚には、水野先生が読まれた本が並ぶようになっていた。

「七田眞先生」

30数年前、水野先生が始められた「朝日全国幼児作品コンクール」をきっかけに七田眞先生と出会うことになる。共に幼児教育の先駆者であった。お二人を中心に幼児教育を研究する団体が設立された。っこで、七田理論と出会うことになる。研修会や研究会が数多く開かれ、私も講師の端くれにいた。全国の幼稚園や保育園を飛び回り、研修をさせて頂いた。幼児教室も同様に新しい時代に入っていった。脳科学を教育に活かした先駆者である七田眞先生の出会いは、基礎教育の可能性を大きく広げてくれた。

子ども達は、これから様々な大人に出会う。その一人一人が出会いの師である。良くも悪くも。私たち大人は、子ども達に足してどちらの師になるのか。既に、多くの出会いの師がこの世を旅立たれた。私も子ども達にとってその中の一人になれるのだろうか。

2013/8/4


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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