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今、教育現場で何が起こっているのか「独り言」Ⅱ

「責任」

大阪の小学校長の体罰問題を取り上げた。責任を持たない評論は意味をなさない。特に、それが教育であればなおさらだ。教育現場の苦労はその当事者でなければ理解できないだろう。今回の件を、虐待という名の暴力としてひとくくりで論じることはできない。現場では様々な問題が渦巻いている。教育ということばが、教師の「教え」と保護者の「育み」という意味から成るように、一人の子ども(人間)を育てるには、子ども達を取り囲む周囲の大人達の力と協力が必要だ。

子ども達と正面から向かい問題解決に全力投球をした校長に、だれが協力したのか、一緒に取り組んだのか全容を知らない私が語る資格はないかも知れないが、報道を信じるとすれば、この問題は地域運動化する内容でもある。

私は、中学生にこのニュースを伝え、彼らの感想を聞いてみた。彼らは、直ぐに誰が悪く、何が問題なのかを指摘した。問題としてあげたのは、いじめた生徒および保護者、ナイフを持ち込み脅したいじめ被害者の生徒および保護者、そして、指導監督の責任がある担任であった。生徒に暴力を振るった校長の名前は出てこなかった。それだけ悪いことをしたのだから(生徒達がなぐられても)仕方がない。殴れば自分の手も痛かった筈。見て見ぬふりをした担任は、教師として、大人として信用ができない。本気で叱ってくれる大人は少ない。暴力がいけない事ぐらい中学生でも理解できる。でも、校長の暴力は一般的なそれとは違う。と評した。

複雑化する社会に呼応するかのように、子ども達も様々な問題を抱えている。多くは、家庭問題だ。離婚、虐待、育児放棄等、子どもを囲む環境はずいぶん変化している。そして核家族化は、家庭の中で「孤独」を産んでいる。個人主義が横行しているが、家庭内の個人主義は、既に社会の最小単位としての意味を示してはいない。親の、子どもに向けられるべき目はどこを見つめているのだろうか。この事件に親の姿が見えてこない。

子ども達の発達障害も深刻な問題だ。学習障害と共に、近年深刻さを増している発達障害は、社会人でも悩む人は多い。テクノロジーの進化、行動情報化社会、利便性を追求しすぎた社会、奪われた遊び場、異常気象、子どもたちは、大人とこの複雑怪奇な社会を共有し共存している。その為、未発達な感覚器官、運動能力、空間認識力等、生活にも学習にも影響を与える力が備わらず成長をしていく。この現実をどのように見、これからの教育に活かそうとしているのか、そのビジョンが見えてこない。

教育現場では指導力の低下が懸念されている。子ども達の学力低下を肌で感じるのが民間教育機関だ。一般的には低学年で基礎力を指導され、3~4年生頃から塾に通い始める、すると、満足に九九が言えないばかりか、足し算引き算ができない。指導要領が変わり、学力中心の教育方針となったのにである。優秀な子ども達は10%を切るかも知れないほど一部の子ども達に限られている。二極化の波は大人社会に限らない。我が国では、経済的貧困で学業もままならない子ども達が300万人を超えると報告された。弱者である子ども達は、あらゆるプレッシャーを受けていると考えられる。経済優先社会は、子ども達も巻き込み、モバイルゲームで多額の請求書を送りつけたという事件もあった。そしてスマホ依存症という新たな病的疾患を生み出してしまった。子ども達は確実に大人社会に犯され始めている。

大阪の小学校長の事件は(あえて事件と書かせて頂く)は校長一人の責任ではない。暴力を振るったことの事実は消えないが、教育界からこのような校長を失うことはあまりにも大きいと言わざるを得ない。杓子定規な処罰が適切なのかもう一度考える必要があるだろう。

2013/8/10


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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