見出し画像

継続と成果

「授業の質」

「学ぶ事が楽しい!」、最近になって実感することがこのことばです。私は大の数学嫌いでした。中学時代、担当の数学教師と馴染めず、答案用紙を白紙で出したこともあります。高校に入り、出会った先生の授業は、予想を遥かに超えるものでした。当初、「またも女の先生か!」といぶかしく思っていましたが、その授業は分かり易く、解説に無駄がありません。私の弱点を見抜いた先生は、補習をしてくれたのです。あれだけ嫌っていた数学(女性教師)は、テストの満点と共に最も好きな学科になりました。出会いの師、まさにこの時のW先生は私にとって出会いの師でした。

2年になると、国語の先生から、「石川くんは何を読んでるの?」と聞かれ、「五木寛之の蒼ざめた馬をみよ」ですと応えると、少し馬鹿にされ「柴田翔の『されどわれらが日々』を読みなさい!」と言われました。ここから、先生との会話が多くなり、実に多くの事を学びました。クラス担任は後に校長になられたのですが、人格者で、この方の教えは今も忘れることはありません。

高校の先生方は、授業を通して、人生を指導していたのではと思うほどです。自分自身が人を教える立場になると、果たして高校時代の先生方と同じように、分かり易い授業、学ぶ事が楽しくなる授業、人として成長させてくれる授業を行っているのだろうかと悩んでしまいます。

現在、私はご存じのように幼児教育と小学生教育を中心に教育研究を行っています。幼児教育の出会いの師は故水野茂一先生です。先生の授業を越えることは難しく、自分自身の個性で勝負するしかありません。ことばの引用と抑揚、身振り手振り、板書の素晴らしさ、授業準備は教師の手本です。そして、もう一人、故七田眞先生です。心理学中心の教育界を、別の視点、つまり科学の目で捉えた第一人者です。眞先生との出会いも、30年を過ぎた今でも鮮明に蘇ります。研修をして頂く前、偶然にも本屋でばったりお会いしました。お二人は、かなりの読書家であったことを思い出します。

授業というものの質を考えると、「教え込む」という考え方は当てはまりません。思考力重視という新たな学力観をもって、学力新時代の教育に望むには、指導者側の努力がかなり必要になります。人間的素質も、この間の体罰問題を考えれば当然の選択です。授業の質は、教師の質で決まる、その質を高めるには学ぶしかありません。子ども達の出会いの師になれるのか、私達教師には数多くの目が向けられていることを実感しなければと思います。

授業は、人から人へと引き継がれていくものです。この時に必要なことがあります。それが指導理念、指導理論、指導技術です。同じ環境でやり方が違うと言う事は本来考えられません。それは子ども達に失礼な事です。そこで、やり方の統一が必要になります。だから指導理論、指導技術の系統性が大切なのです。そこに継続という文字が浮かんで来ます。つまり、一貫教育とは「学習の継続」を意味しているのです。

2013/1/23


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?