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ナチュラルとケミカル

自然。
ナチュラル。
白いワンピースに麦わら帽子。
野の花を摘み。
愛する人に、はにかみながら花束を差し出す。
理想の花屋的なイメージ像。
ともかくプラスチック的なイメージを近づけたくない。
造花とかプリザーブドフラワーって何??。
うちはナチュラルがコンセプト。
そう言って胸を張る。
繊細、新鮮、癒し、素敵。。。
こんな実態伴っているのかよく分からない抽象的なたくさんの言葉を並べる。それが花屋。
そもそも食品でもない植物扱う業態って超曖昧。
曖昧な言葉でしか自身を表現することができない。
アイデンティティーはナチュラルとか癒しとか素敵とか当たり障りのない言葉で囁く。
花屋の商号には曖昧で漠然としたおフランス語を使いたがるのもこの延長線にあるような。。。
お客様像もその主張も革新もないふわっとしたコンセプト?に沿ったナチュラルや癒しや素敵に惹かれて訪れてくださる。
毒にも薬にもならない控えめな立ち位置にいることで、悪意とまでは言わないけれど、世界からの視線から巧みに身をかわして好感度を保って存在している。
自然という世界。
自分も含まれる人間もそこで生活している。
自然が崩壊しなくても、自然が弱ったら、人間も弱ることも重々承知しているはず。
それでも、人間は自然に優しくない行動を取らざるを得ないことで生き延びることを余儀なくさせられている罪悪感も抱えている。
だから、自然というカテゴリーで生業立てている花屋という業種は100パー自然応援団みたいに持ち上げられてきてる側面もありませんか?。
「お花屋さんはいいわね。きれいなものに囲まれて」とか「自然に囲まれて癒されるわね」というセリフ?。すっごい違和感あるのは天邪鬼な自分だけなのかな?。
自然があってこそ人間は生きていくことができるのだけど、自然は人間のためだけにあるわけではないから、いつもいつもお母さんのうように人間に愛を注いでくれるわけではない。
思いっきり人間を殺しにかかってくることもある。
人間や生物の種の保存の本能と知恵で自然と共存して世界は続いてるんだと思う。
そもそも強靭で手に負えない自然を商材にして食べている人間が人畜無害で癒しに満ちた存在であるはずもない。

「自然」と「ナチュラル」。
同義のはずなのに、伝わってくるニュアンスはあまりにもかけ離れている。
???。
自然という言葉とナチュラルという言葉。
使い方がごちゃごちゃと自分でも混同してきたみたいなのでちょっと整理してみようかな。
「自然」は日本語で「Nature」が英語。
「Natural」は英語で「自然な」が日本語。
「Nature」は「自然」より壮大で圧倒的な感じがする。
前者からイメージするのは険しい山々や竜巻みたいなもの。
後者は霧に霞む田園風景やら風に舞う桜吹雪みたいなもの。
これってそれぞれの国の風土のイメージが大きく作用しているだけかもしれないけど。
「Nature」と「自然」から感じ取るニュアンスはだいぶ違うと思う。
それに対して。
「Natural」と「自然な」は、ほぼ受け取る印象って似てるんじゃないかな?。
「彼の振る舞いは自然だ」と「彼女のナチュラルな仕草は魅力的だ」。
どちらもほぼ同じ意味合いで伝わってくる。
実際は「Natural」じゃなくて「ナチュラル」に置き換えているし、「Natural」が含まれる英語の世界とは遠く離れた世界にいるわけなので、「自然な」と「Natural」はほぼ同じですよなんて断言することできませんが。
花の話なのになんかややこしい話してんだ?。
ってことになってきてるのでここはちょっとまとめていこうかな
「Natural」>「自然な」と間違った翻訳の意味合いで使っている人多いのではないのだろうか?。
実は自分もさっき「自然」を翻訳ソフトで英語に変換したら「自然」>「Nature」となってそうだったと驚いた。
そういう誤翻訳から「Natural」=「自然」=「ナチュラル」いう図式になってこの言葉のイメージが脳裏に届いてくるんだと思う。

自分は花の生産者でもないし植物の知識なんてほぼゼロなんです。
そう。
でも花をもっともらしい態度で商い。
ずっと生業としてんですよ。
それで生きてる。
それを本望としてるわけでもないけれど。
だから、これからってか、今までの話もマジに違うんじゃね?って。ごもっともな意見等。
はいはいって流すお高くとまった目線でいきますけどね。
花屋さんで販売されてる花って。
見た目がすべてです。
同じ植物でも野菜という括りとは大分違った理念で生産されてると思う。
花屋で売られている植物は食べることは前提にされていません。
野菜苗、ハーブ苗は除外します。
食べることが前提にされていないということ。
それは部屋に飾る花や葉っぱにシミや虫食いなどがないこと。
プランターに植える苗がアンバランスに大きかったり形がブサイクじゃないこと。
ナチュラルを愛する方々はそれこそがナチュラルで素敵というかもしれないけど。
やっぱりそれは少数派なので、フツウに売れる商品や流通コストを減らす画一的な商品を目指す。
だから花を口にしない前提の消費者を想定して殺虫剤使うし、薬剤使う。
人々を癒してくれる花やグリーンってほんとのところは人が人の都合のいいように作られた商材という側面もあると思う。
というか側面じゃなくてモロ正面かもしれない。
ナチュラル信望者の方々が素敵なストーリーを作ってくださっているので花という商材はヴェールをかぶっているだけかもよ。

たくさんの現場の例があるんだけど一個だけ書いとこうかな。
花屋には物日ってのがあってその物日にできるだけ売り上げをとって生き残っています。
みなさん思い浮かぶのは「母の日」とかですよね。
他に年末と年度末。
それとお彼岸やらお盆やらの仏事も繁忙期になります。
年末に用意するお正月の花や仏事で使われる花の主役としての菊。
菊の花が大量に仕入れられ水揚げ作業。
下の方の葉を取り除き茎を折って水に浸けていく作業。
ここで、葉を取る時に生産者によって葉に散布されて乾いた農薬が作業場に舞い散るんです。
それは目にも見えるし、すごい刺激臭。
全員マスクでこの仕事にあたります。
現在はマスクをしていない人を見かけることって稀なんですけど。
以前はこの姿は異様で、お客様にみんな風邪ひいているの?。
みたいに怪訝な目で見られてたと思う。
この菊の作業のおかげでマスクはお店に常備されていので今回の禍のマスク不足に役立ったことは確か???。
何年も菊に関わっていたせいか自分は鼻炎が悪化して病院に行っても治らなくなっちゃったかな。
でも他に色々な花があるのに菊だけがこんなに農薬まみれなのかはよくわからない。
花というのは自然のサイクルで咲いたり枯れたりするもの。
いくら人の都合の良い商材としてこしらえられた花だってともかく咲く時期はあるし、旬というのもちゃんとある。
菊の花だって秋に咲く花という認識は誰にだってあると思う。
ただし日本という国では菊は皇室の花。
日本人のアイデンティティーを彩る位置にある花ですよね。
だからなんやかんやとうやうやしいことあるたびに登場する。
一年中お葬式はあるし、仏壇に供えられる。
菊は旬の花とか悠長なこと言ってっれない。
季節なんて関係なく供給され続けなければならない。
だから学校で習った「電照菊」みたいな開花時期を操作したりして、需要に応えるようになっていったんだろうな。
そういう流れで花屋の作業場に舞い散る菊の農薬禍があるのじゃないか?。
と推測してみた。

ナチュラル、素敵、癒しの物語を全否定するようなことを書いてますけど。
ケミカルな力を使って都合よく作り上げられている花屋の商材としての花。
「Natural」には遠いかもしれないけれど、「Nature」の一部を構成しているものであることは確かで、世界に存在する「Nature」は深くて広大。
ケミカルにまみれた花だって人の営みに寄り添っているし。
ちゃんと「Nature」なんだと思ってる。
と懺悔みたいなこと言っておしまい。

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