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ハナを捨てよ、庭へ出よう/箱根湿生花園編

日本という場所では種々の文化を洋と和というカテゴリーに分ける謎の性癖が存在してる。
洋食と和食。
洋楽と邦楽。
洋画と日本画。
洋画と邦画。
洋式トイレと和式トイレ。
洋室と和室。
そして洋花と和花。
日本人と言われてる人じゃないとわかるようでわからない微妙な世界。
こういうことのウンチク語るほどの知識とかご披露できないので、即スルーでいきます。
岡倉天心とかの書籍読み返したいところですが。
今回は書を捨てて、外に出ましょう!。

この和と洋のカテゴリー。
洋風庭園と和風庭園といった庭の概念にも存在してますよね。
和風庭園というのは池があって松があって石があって。。。
日本庭園の定義を理解してなくても、なんとなくイメージはしっかり浮かんできます。
でも、一方の洋風庭園というとけっこうぼやけてきます。
芝生。
バラのアーチ。
花壇に季節の花が咲いてて子犬が駆け回ってる?。
そんな感じ?。
はたまた、トトロのサツキとメイの家の前のパーゴラみたいのも思い浮かぶし。
今時のイングリッシュガーデンチックな意識高い系の庭も洋風庭園と言えるのかな?。
こんな感じで洋風庭園という正体は掴めないと思いませんか?。
これって和食と洋食の比較に通じるものある気がするかも。
和と洋という定義は日本と西洋というわけでもないですよね。
オムレツ、トンカツ、ビーフカレー。。。
これを自分たちは西洋料理と思ってはいません。
和食ではないけれど、洋食という日本の料理。
こんな認識じゃないでしょうか?。
和風庭園と洋風庭園もこんな感じじゃないかなあと思うんです。
和風庭園には植木屋さんという専門職にあたる人が存在してます。
一方、洋風庭園にはガーデナー?とか。。。超曖昧模糊とした人々。
こう見ても洋風庭園というのは一体どんなもの?ってなりますね。
まさに洋食と同様に、和風庭園ではない、洋風庭園という日本の庭だということかな?。

なんだか話がこんがらがってきました。
現実を忘れさせる庭の話をすることが今回の趣旨。
そろそろそこに向かいましょう。
今回は神奈川県の箱根町の仙石原にある箱根湿生花園のご紹介。
自分が住んでいる横浜と同じ県内にあるので訪れる機会がとても多いです。
車で東名高速で御殿場までスッと行って箱根に登るのではなく、大井松田で高速降りて246で富士山眺めながら山道走って、御殿場、箱根へと向かうのが常です。
車に乗って音楽&思索の時間が自分にとっての現実逃避の一番の方法なので、その時間を過ごすための目標地点として箱根湿生花園を設定しているっていうのもあります。
でも、箱根湿生花園はそれだけかってことにはなりません。
そうだったら、ドライブの目的地はどこでもいいわけなんだけど、箱根湿生花園は目的地としての位置は揺るぎません。
箱根というのは観光地としてはものすごく有名な場所ですよね。
でも自分は箱根湿生花園にはよく出かけますが、箱根の他のスポットにはほとんど行くことはありません。
自分は箱根に行くのではなくて箱根湿生花園に行くのです。
それほどに惹かれる魅力は何なんでしょうねえ?。
何回も訪れて最初に受けた印象が薄れてしまっています。
何から語っていいものか?。
庭を謳って観光客を呼び込む観光地は沢山ありますよね。
長い歴史と文化的価値を持つ庭園が点在する京都のような場所もあれば、人の想像も及ばないような企画で作り上げられたひたち海浜公園のネモフィラの丘のような場所。
どんな人でも訪れることができる公の庭。
それぞれの個性を持って沢山存在してます。
箱根湿生花園もそういう庭園の一つです。

ただ、箱根湿生花園は庭園という言葉で思い浮かべるイメージから随分とずれています。
そういうのって自分だけなのかなとも思うんだけど。
庭というのは人がこしらえたもの。
ところが、ここではそういうことうっかり忘れてしまいそうになるんです。
普通に箱根の山の中にいるような気分で木道歩いてる。
木道自体が人が作ったものなのにね。
そういう前提が頭の中からカパっと外れてしまって、山の中散策してたら偶然の花の出会いに感激してるってわけ。
全部意図されて配置、設計されているということ意識させない。
仙石原という場所に自生するような特有の植物が人の手で再構築されたのがこの庭のコンセプト。
ミズバショウというキラーコンテンツも魅力なんですが、様々な観光庭園と一線を画するこの庭の吸引力はここにあると思います。
そして、先に書いてた和風と洋風のことになるんです。
箱根という場所は日本にあります。
箱根の自然を映した湿生花園という庭は和風かと?。
確かにどう見ても洋風ではないです。
だからと言って和風庭園という概念からはかけ離れています。
庭園(和)という言葉でもガーデン(洋)という言葉でも表せない空間。
もしかしたら庭という言葉ではくくれない場所なのかな?。
薄々感じてきます。
人が心地よく感じられるように自然を配置した庭園という空間。
世界に溢れるノイズを人同士が共感できるようにデザインしたものが音楽であるように、雑木林や雑草を美しく感じるようにレイアウトしたものが庭じゃないのかと思います。
極限までミニマル化したものが枯山水のような庭だとしたら、湿生花園はその極にあるんじゃないのかなって。
作られていること、管理されていること、を観る者、散策する者に意識させないほどに映し取られた自然。
そこを軽装で移動して行く。
まるでバーチャル空間の庭を散歩するがごとく。
ここでは、洋風の庭?和風の庭?、そんな質問も頭に浮かびません。
だいたい庭にいるって観念さえも頭よぎらないかも。

箱根湿生花園は日本にあります。
日本にありますが、和風庭園でもありません。
もちろん洋風庭園ではありません。
じゃ、何庭園でしょうか?。
何庭園でしょうね?。
問題は何風って部分じゃないのかも。
庭園というとこ。
箱根湿生花園という名前には庭という文字がありません。
そもそも庭としてこの場所のことを話してきたことに落ち度があったのかな?。
箱根湿生花園は庭ではない?。
庭でないなら、洋も和もなかったわけですね。
洋とか和とかのグループ分けで成り立っている日常の世界。
そこで息がつまってしまったら、ぜひここに逃げ込んでください。
それが箱根湿生花園なのかもしれません。

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