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ハナノハナシをハナシ始めてミル

僕はけっこう長いこと花とか植物とか。
そういうもの。
んん?漠然としてんだけど。
そういうものを商材として販売する世界から食い扶持をいただいて生き延びてこれた人間です。
そういう世界が自分にとって全てであったことは今までもなかったし、これからもないのだけれど。
そこから別の世界へと滑り込んでしまいたいという好奇心を抑えることはできず。
ドカドカ手を広げ新しい行列に並び始めるのですがその先にあるものにたどり着くには果てしない先客がありいつも失念するのが常時になっております。で。
消沈ばかり。
だったら今並んでいる行列に並び続けるのも一興なのかも。
ってのは常々感じることもあるけど。
でもねえ?。
の疑問符の行ったり来たり繰り返して数万年みたいなことになってます。
ただ。
言えることは。
今並んでいる行列のことしか語られないのではないのかというオチに堕ちるとこの頃自覚もありありだし。

なのでせっかくだからずっと並んでいる行列のこと。
花とか植物の行列。
並んでる合間にちょいと報告文みたいのあげとくか。
みたいなことで始めて見ようと思ってます。
でもね。
花のこんなところが素敵とか花の知識がグーンと広がるとか。
今までの花の疑問が解決。。。
みたいなことは書けないのでご了承ください。
だからといって。
こういうことが書きたいんです的な確固とした理念も主張もなくて。
行き当たりばったりですね。
毎日その時々の調子とか風の吹き回しみたいなものに引きづられがちな僕なので。
転々と言葉を連ねる調子も多重人格者のように翻っていくと思うし、話の顛末もどこに収束するのかもなくサドンデスすることも常時ってことになるんだろうなあって予感満ち満ち。
定規引いてきちんと帰結していくような作業すると、これって面白いんだよなってとこがうまいこと引き出されないんじゃないのかなってとこもるんで。やりたくないこと、興味惹かれないことはしないってルールにもならないスタンスで書いていこうかなと思ってます。
僕は植物のエキスパートでもなければ、花のデザイナーでもないです。
花とか植物を販売するのに浅く広い、実際は思ったほど広くもなく思った以上に浅い知識の上で店先にずっと立ってきたわけで。
密度が濃い高クオリティーの世界観は絶対に無理なんですけどね。
現場感覚って多少あると思うのでチャラいライブの余韻みたいなの思い出し思い出しで連ねていこうと。。。

そもそも花の仕事って何?。
こういう投げかけを自分にすると、どうにも仕事のタイプのカテゴライズに走ってしまいそうだから、そういうことにならないように、と。
よく「お花屋さんはいいわねえ。きれいなお花に囲まれて」と言われる。
けどさ、「ほんとそうなんですよ」って100パーうんうんそうそうとうなづける花屋さんいるかな?。
「ケーキ屋さんはいいわね。おいしそうなケーキに囲まれて」「公務員はいいわね。人の税金で生活できて」ってのと同じ。
同じ?というのも超語弊があるのかもしれないけどさ。
花を扱ってその対価をいただくことって。
きれいにして美しいもので飾るみたいなことだと思ってる。
汚れた場所を清浄にして美しいもので空間を生き返らせることでハレの場所を立ち上げること。
ま、そんな大層なことでもないんだけど、花集めて飾ったり、こしらえもの作ったりの作業それ以前の汚いもの削除のお掃除ってのがホントは仕事の大部分なのだ。
それはテーブルの埃払いとか床掃除みたいな日常誰でもやってる掃除もそうなんだけど、花瓶の汚れた水の取り替えとか庭仕事での雑草やごみの処分。
話飛ぶけど、花屋のゴミの排出量ってのはハンパない。
あと、これは花屋ではない人にはわかりにくいことだけど、一本や一つの鉢に咲いてる花。
ダメになってる花や葉っぱを根気よく取る作業がある。
それを花を掃除するって言葉で表現する。
花を掃除することは人の手を入れて人の視覚に美しく映る花にするわけ。
「花屋さんはいいわね。自然に囲まれて」というお言葉も、自然に手を入れるってのが根本にあるのでお門違いなんだ。
自然の赴くままの植物の世界を享受してウキウキしてるのが花屋なのではないわけで。
ホントは逆なんですけど。
自然をいじりまくっている現場にいるので、否応無しに自然というものを意識せざるを得ないし、反対に自然というものに鈍感になっているところもある。
街路樹の芽吹きとか開花とかに無意識にでも目が向いていて季節の経過とか季節の区切りを認識している。
ソメイヨシノの蕾のふくらみの変化、そして開花までの過程なんかは自分で気にしなくてもテレビが気にしてくれるからそこはワクワク感を共有することはできるけど。
ソメイヨシノの紅葉から落葉までの過程を気にすることってあんまりないんじゃないかなあ。
ソメイヨシノの紅葉って意外に早いんです。
あーあ、夏も終わりだなあって感じる頃から葉っぱはうっすらと赤くなってきてる。
北風が吹く頃には落葉のピーク。強風に煽られあっという間に樹影だけの姿に。
そんな感じで植物の日々の変化には意識してもいないのにかなり敏感だったりする。
一方では商材としての花や植物には相当無頓着というか、結構な密度で接しているもんだから、空気のような存在になってる。
花や植物に対して擬人的な表現は絶対使わない。「花たちとか」。。。そういうのね。
花言葉的な意味を付加する行為にはただただ気持ち悪いという感情しかわかない。
こんなこと言うの僕だけなのかもしれないけど。
花も植物も美しかったり逞しいと感じること。
たくさんあるけれど、それ以上でもそれ以下でもなく。
特別引っ張り上げてスリスリと愛撫するようなことは今後も絶対ない。
あまりにも日常で意識することもなく触れてきた世界。
言葉にしたら、また別の見方で立ちあらわれてくんのかな?みたいな感じでやってきます。
書いていきます。
イントロ的なことはここら辺で締めておきます。

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