見出し画像

流星ラジオ/2

ラジオというメディア。何に惹かれるのか?。音楽聴くのが純粋に楽しい?。でも音楽延々だったらBGM。初めは聴いてたつもりがそのうち音は鳴っていても聴いていない状態。ラジオのメリットは他の作業の邪魔をしないところ。だから、他の作業していてもラジオは存在し続けられる。運転中のスマートフォンやテレビはヤバイけど、ラジオを咎める人はいない。ボリューム上げて高揚感煽りアクセルグッと踏む。スピードを必要以上に上げることはどうかと思うが、車内でボリューム上げることに違法性はない。作業や動作を妨げない音源装置としてのラジオ。でも、音楽だけだと、感情的なノリを左右する付随的な存在感しか発揮できないんじゃないかな?。なーんか、それだけじゃつまらない。だったら、音楽だけかけていればいいわけで、ラジオの選択肢は消える。
ラジオに惹かれる人がいるのは音楽が流れていることだけが理由じゃない。人の話し声。情報の読み上げ。複数の人の会話。そこに音楽が加わる。こんな状況?。ちょっと映像を思い浮かべて見る。コーヒー飲みながら会話している人たち。ラップトップPCのキーを叩いている人。飲み物をテーブルに届けてくれる人の足音。そして空間を包む音楽。そう。ここは街角のとあるカフェ。ラジオは電波という手段を使って、様々な場所に人が集うカフェを再現しているメディアに思えてくる。自分はただただその環境の中で周囲の音を拾っているわけでもない。テーブルの向かいにもう一人の誰かが自分に話しかけている場合もあるし、それに応えている自分も想定される。自分や他人の複数の環境の時間が流れ交差するカフェ的なラジオメディア。孤立した自分の時間や空間に外の世界を繰り広げてくれる魔法のような装置。それがラジオだ。
一人っきりで仕事したり、一人っきりで運転したり、部屋で一人こもっていたり、もともと話す人なんて誰もいない人でも、世界で起きてる様々な一片や生活の息吹を音楽と共に届けてくれる。孤独に寄り添ってくれるラジオ。素敵な音源を絶妙にミックスしていくカッコイイDJのプレーをエンドレスで流し続けていく音楽に特化したコンテンツにも惹かれるけど、それだけならラジオじゃなくてもいい。人々の営みを映した星のカケラが孤独な闇夜に一瞬流れては地に堕ちていく。そして、また別方向に流れ落ちていく。不規則な星の運動に目を奪われたりやり過ごしたり、気づかなかったり。こちらの反応もかなり気まぐれ。眠たい目をこすりこすり混雑した電車の中で車窓に目をやりながらも何も見ていない視覚の奥に流れていくラジオの心象。そうだ。流星ラジオ。そうネーミングしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?