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Paper and pencil

紙一枚と鉛筆一本。
世界変えられるんだよ。
ギター買えなくたって。
絵の具買えなくたって。
とりあえずそれが手にはいれば。
準備OK!ってことになる。
いい声出せなくたって。
足遅くたってさ。
全然そういうの関係ない。
顔の作りがブサイクだから。。。
これはまた別の話になるんだけど。
それは置いといて。
紙と鉛筆で何ができるんだい?。
そこに戻る。
僕らは世界と接してる。
部屋に閉じこもってても。
世界から完全に孤立しようがないほど。
世界に蹂躙されてる。
共通言語としての文字。
そうだよ。
当たり前の使い方。
紙と鉛筆といえば。
言葉を編み上げるって手段。
君の思考行為を叩きつける。
君の歌を塗りたくってもいい。
思う存分やってくれ。
そういうことじゃないのは?。
っていうのならば。
僕らは世界と視覚でも結ばれてる。
世界は光だと言ってもいいぐらい。
光が映し出すものが世界とも言い換えられる。
自分が表したい世界の形を写してみるってのはどう?。
これも当たり前といえば当たり前か?。
だったら。
世界ってのは時間という軸もある。
動くって概念。
時間というものは僕らに死が訪れること。
その時が来るまでのカウントダウン着々刻む。
時間を表現することもできる。
鉛筆で紙をこすったら。
音出るでしょ?。
叩いてもいいし。
リズムやハーモニー駆使したら。
とんでもない緻密な音楽。
表現できるかもしれない。
ほらほら。
考えていけばいろんなことできるよ。
ただそれをやりきるまで続けることできるか。
それが問題。
できる人間って多分ほとんどいないよ。
ものを作ることで世界を変えていけるなんてこと。
ほとんどの人はできない。
というかやらない。
やらないほうが圧倒的に楽チン。
やった人のことを自分だったらこうするのに。
なんてね言ってる人いるでしょ。
でもそれって自分もだろってこと。
一人の人間ができることなんて些細なこと。
たくさんの人と協力しないとね。
そういうこと言う人信じちゃいけない。
一人の人間ができることってすごいんだよ。
ただね。
すごいことするには超孤独な作業で超きついんだ。
一つ一つのステージを登って行くごとにきつくなる。
見据えている目標物がどんどん遠ざかって行く。
孤独も極まって来る。
そうだよやめちゃおっかって観念が頻繁に起こってくる。
やめちゃうって諦めるってことじゃないよ。
紙と鉛筆での表現をやめるってことじゃない。
表現する自分という個体をやめてしまうってこと。
いつもそういう紙一重のエッジを行ったり来たり。
そういうとこを超えてきてる人たちが衝突することで。
大きな輝きが世界に放出されるわけで。
素敵な仲間がどうのこうのというのとは完全に異なる。
命がけで世界を作り出している人のこと。
それをしてみないと何もわからない。
才能とか天才とか。
そういうものが自動的に機能して。
僕らの生活を豊かにしてくれてる。
ものすごいスピードを出している個体は。
もしかしたら、
自分が持っているブレーキのポテンシャルを使い果たし。
壁にぶつかって粉砕することでしか止まることができなくなってる。
そういう場合だってあるんだと思う。
そういう人たちが生み出しているものを。
食いつぶしてのらりくらいと先送りして暮らしてる僕ら。
最高だよね。

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