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奇跡のドライブミュージック・渋谷編

自分的な神ドライブ音楽を一つづつ紹介していきます。そう、場所と音楽が密接に絡み合ってるので、神音楽が脳に響いてる場所は場所自体も神的な表情を見せてくれる場所なのです。まずは近いところからいきましょうか。渋谷。ここは車で行くことはないので厳密にはドライブミュージックが奏でられるって表現は違うんじゃない?。ってことなんですが。東横線に乗って渋谷に出かける時にヘッドフォンから流れている音楽は一人のアーティストの音楽に決まっているんです。渋谷という街は学生時代を送った場所であって、誰でも持ち合わせる郷愁という感情を引き起こす場所。街の表層の佇まいは信じられないほど変貌を遂げている。だけど街の骨格みたいなのは体が覚えているんだ。「あの看板見えたらこっちに曲がるとあの店があるんだよ」といった視覚情報は時が経てば役に立たなくなって来る。でも道や建物の構造はそうそう短い時間ではサイクルしているわけでない。表層の様々な情報にとらわれないで、なんとなくコアにある塊としての街みたいなのを感じながらレーザー照射して進んでいくニュアンス。自分にとってはこの渋谷という街は表層のキラキラが怒涛の物量で流れていく街というだけじゃないんだ。谷底から広がる街をつないでいく道の骨格を辿るとその道々に遥か昔の記憶が何気に現在のリアルにシンクロして来るとこが特別感がある場所にしてくれる。多くの人を飲み込むような巨大な都会という装置では音楽という仕掛けも常に発されている。だけど空か降り注ぐように落ちて来る轟音。ノイズに負けないようにボリュームを上げられた音楽を浴びて立体的な街の様相も増し増しの圧力。これじゃ日常のリアルから逃避する場所だなんてとても言えない?んじゃない?。だからさ、まずはヘッドフォンつけて外の世界の音量落とします。そしてdaokoさんの音楽がfade in。か細く揺れる声が都会的叙情的な音楽に踊る。視界を覆う原色の情報も透けていく。街は灰色の骨格だけになって、降り積もっった記憶の層がゆらりゆらりとほどけていく。かすかに舞い上がった記憶の破片に心映す。時間軸が揺らぐ。ストレスにしかならない人との接触と情報の海。なのに、この人の作り上げる音楽を体に注入して彷徨う渋谷の海。めまぐるしく行き交う人や車も車窓から眺めるような、PCのモニターに映るような、よそよそしい風景にしかならなくて。それぐらいの関わりが本当はちょうどいいわけ。それなのに圧倒刺激的な景色も手にできてるんだから。。。まさに現実逃避でしょ?。乗用車の中で聴くというシチュエーションではないかもしれない。なのに主体としての自分は徒歩レベルで移動してるんだけど、外界の情報は超高速で自分に向かってきては去って行く。体感するスピード感は徒歩のそれではないと思う。だから渋谷という街でヘッドフォンから流れる音楽はドライブミュージックなんです。そしてdaokoさんの音世界は数少ない自分の奇跡のドライブミュージックの一つとなってるわけです。圧倒的な力を持つ世界に対峙できるのはその力に負けないようなパワフルは暑苦しいので渋谷という街さえも嫌悪させることになる。ましてや渋谷という街をポップシティーみたいに捉えたステレオタイプのシティーポップが渋谷に合うのか?。そんなに軽く流せるのか?ってなる。ひ弱そうで芯がくっきり意思を表明しているリリック、それを思った以上のスピードのラップで語り綴っていくラップ。儚さが心を揺らし、スピードが快感を生む。彼女の音楽と共に巡る渋谷は極上の現実逃避なんです。唯一無二なのだよな。他に渋谷の街の情景を高みの極みに導いてくれる神音楽が彼女なのです。そしてね、daokoさん音楽もすごいけれど、めちゃくちゃ可愛いしね。

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