スマホ依存 vol.3
「情報化社会」という言葉はいつ頃から使われるようになったのだろうか?
1970年ごろから使われ出したようで、1980年前後からコンピューターや通信技術の進歩が急速に進み、情報化社会という言葉が広く知れ渡っていったようである。
そういえば、私が社会人になったのが1983年。ちょうど入社した頃にコンピューターが導入され始め、それまで手で書くことがキー入力に一気に変わっていったことを覚えている。
その後のIT革命は目覚ましく、現代においてはAIにより、人が携わってきた仕事がAIに取って代わられることが目前に迫っている。
ここ半世紀の間に、「情報化社会」は「情報過社会」となり、現代のにおいては「情報禍社会」とも言われるようになった。
常に情報に晒されている現代社会。
その情報が正しいものか間違ったものか、また必要なものなのかどうか・・・
今や情報は探すものではなく、どう選択するかが重要である。
この情報禍社会の元凶がスマホである、と言ったら皆さんは受け入れられるだろうか?
確かにスマホの使い過ぎは良くないと最近よく聞くようになったけど、仕事にも生活にもこれだけ入り込んでしまっているスマホをなくすことはできないよね、というのが大方のご意見ではないだろうか。
ここで一つ、「線引き」というワードを出したい。
それは、大人と子供でその使い方を分ける、という線引きである。
年齢によって許可されるものが世の中にはいろいろ存在する。
お酒、タバコ、車の免許、選挙などなど・・・
その時代時代で、あるいはその地域性よって年齢が異なることはあるが、この年齢の線引きには「自分で責任が取れるかどうか」が基本にあるのではないだろうか。
実態は、自己責任が取れるという意識なんてものはなく、その年齢になったからお酒が飲める!というノリではあるが・・・
しかし、年齢で区切られることは、その時点で自分がその所属する社会から認められた存在としての一つの証となり、大人の仲間入りをして経験を積み上げていく中で自己責任の意識も芽生えるものだと思う。
子供は決して大人を小さくしたものではない。
体はもちろんのこと、脳も精神も発育発達の途上である。
お酒もタバコも、発育発達途上の子供には不要なもの。
フランスの哲学者、ジャンジャック・ルソーも言っている。
「子供をダメにする方法は、不必要な時に、不必要なものを与えること」と。
スマホもお酒、タバコ同様に、心身ともに成長し(刺激に対して抵抗力を持つ)、その取り扱いをコントロールできる、自己責任が取れる年齢になれば解禁されるものという考え方が必要ではないだろうか。
スマホを考える時に、大人と子供を一緒くたにして扱うことはできないということをまず押さえておきたい。
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