見出し画像

なぜいま、あえて「グローバル国家」なのかーー『フューチャー・ネーション』#5

ビル・ゲイツ財団の若きリーダーによるデビュー著書『フューチャー・ネーション:国家をアップデートせよ』。パンデミックから#BlackLivesMatterまで、「団結か、分裂か」で世界が揺れる今、本書が大きな注目を集めています。一部を無料公開いたします。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

画像1

Introduction

グローバリズムをアップデートせよ

なぜいま、あえて「グローバル国家」なのか

 グローバル国家というビジョンが、いまほど見当違いに思える時代はないかもしれない。「ブレグジット(イギリスのEU離脱)」の議論やドナルド・トランプが幅を利かせる時代に、グローバリストは歴史の流れに逆行する存在と思われがちだ。
 
 ぼくが本書のためにインタビューした人の多くは、悲観的だった。オバマ財団やチャン・ザッカーバーグ財団の現役幹部や元幹部は、アメリカ国内だけでも危機や取り組むべき問題が多すぎて、グローバルな団結など考えることすらできないと嘆いていた。イギリス元副首相で、現在はフェイスブックの国際関係およびコミュニケーション担当のバイスプレジデントであるニック・クレッグは、一九八〇年代には国際協調が進むと期待していたが、結局ナショナリズムの力は衰えず、期待は徐々にしぼんでしまったと語った。
 
 ギリシャの元財務大臣で、新たな汎ヨーロッパ運動「DiEM25」の創設者のひとりであるヤニス・バルファキスには、「ユニバーサル市民権」という発想には共感するが、「グローバル」という言葉にはあまりにマイナスイメージがつきすぎてしまったので、使わないほうがいいと忠告された。こんな時代にグローバリズムの必要性を訴えるのは、「いまのヨーロッパで左翼政党が共産主義をかかげて選挙を勝とうとするようなものですよ」とまで言われた。
 
 コスモポリタンな立場から国際協調を目指す人々にとって、いまが難しい時代だということに異論はない。それでもぼくは、多くの人の抱く不安をやわらげ、それを前向きなエネルギーに転換したいと思っている。
 
「世界の出来事」を偏った視点から論じるのは、もうやめよう。そうすれば民族的ナショナリストによる国際協調の拒絶という動きが、実は世界的なトレンドではないことが見えてくるはずだ。
 
 世界で最も人口が多く、最も急速な成長をとげている国々では、グローバルな連帯意識がいまも強まっている。次章で示すように世界では自らを「特定の国家ではなく、世界の市民である」と認識する人のほうが多数派であり、とくにインド、中国、フィリピンではその割合がとても高い。調査対象となった国では例外なく、大多数の人が「環境のような問題については、国際機関にルールの強制力を持たせるべきだ」と考えている。ポピュリストの扇動にゆれる国々も例外ではない。世界がグローバル主義に背を向けたと言われるなかで、意外な結果ではないか。
  
 グローバル・アイデンティティがいまも強まっているのは、教育の普及、言語の統合、マスメディアの普及、移動手段の改善といった、かつて狭い地域のなかでナショナリズムを高めた要因が、いまではグローバルに作用しているためだ。
 
 こうした要因が働いているかぎり、グローバル市民というアイデンティティが醸成される条件は整っている。現在では想像するのも難しいが、同じような驚くべき変化は過去にも起きたことがある。一七八三年にヨハン・カスパー・リースベックがこう書いている。

「(ドイツ人の)祖国に対する誇りや感情は、ドイツのなかでもそれぞれが生まれた地域に限定されている。同郷の者以外はドイツ人であっても外国人と同じである」

 だがそれから一〇〇年も経たずにドイツは統一された。いまではリースベックの時代にはドイツが四〇〇以上の国に分かれていたというのは想像もできない。意識の変化には時間がかかったが、それは歴史的偶然の産物ではない。国家が形成されるのは、共通のアイデンティティという概念が積極的に広められ、それが大衆の想像力を刺激したときだ。

いまのグローバリストのダメなところ

「誰もが世界市民である」というのは魅力的な思想だが、まだ受け入れようとしない人も多い。それはある意味当然だ。
 
 まず一九八〇年からはじまった直近の経済グローバル化のうねりは、過去に例のない富を生み出した。それによって数十億人が貧困を脱し、グローバルな中産階級が誕生するとともに、最富裕層は一段と豊かになった。その一方、豊かな国の低技能労働者や世界の最貧層の経済状況は、ここ四〇年で少しも改善せず、相対的に見ればむしろ悪化した。絶対的に見ても四〇年前より所得が減ったという人も多い。
 
 それに加えて多くのコミュニティが、アイデンティティの危機を感じている。マスメディアや一段とグローバル化する政治エリートの意思決定を通じて、グローバル社会の主流な文化が広がっており、それが伝統的暮らしを消し去ろうとしているように思えるのだ。富裕国では移民の大量流入によってコミュニティが激変しており、有権者は変化の速度をコントロールできないという無力感を抱いている。
 
 また多くの人の目から見て、現在のグローバル体制はきわめて不公平だ。国際政治を牛耳るのは、国連安全保障理事会の五つの常任理事国で、いずれも核保有国である。そのうち四カ国は白人が多数を占めるキリスト教国だ。こうした国々の指導者は人権問題をよくやり玉に挙げるが、国際政治の実態は人権問題のパロディにも見える。そして強国の内部にも、グローバル体制は民主主義など歯牙にもかけない絶対的エリートに支配されていると感じている人は多い。
 
 こうした状況に対する怒りが表出した例をふたつ挙げよう。
 
 ひとつはヨーロッパや北アメリカの民族的ナショナリズムだ。「トランパブリカン(トランプに心酔する共和党員)」やドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」、オルバン・ヴィクトル率いるハンガリーの右派政党「フィデス・ハンガリー市民同盟」などである。
 
 もうひとつはさまざまなイスラム政治勢力で、たんなる強硬派(トルコのエルドアン大統領やエジプトのムスリム同胞団)から、残忍な過激派(「イスラム国」やアルカイダ)まで幅広い。
 
 一見まったくことなるこうした政治運動の根っこには、支持母体となる人々の所得を奪い、アイデンティティを壊し、不当な仕打ちをするグローバル体制を破壊しようとする同じ欲望がある。いずれもそうすることで、あやふやな過去の記憶のなかだけに存在する架空の黄金時代を取り戻そうとしているのだ。
 
 グローバリストはこうした運動に加担する人々を「悪者」と切り捨てる。もちろん特定の層のみにアピールするトランプの人種差別主義、イスラム国の見境のない残虐行為など、運動の指導者の手法は容認できない。
 
 だがその多くは明らかに不公平な現体制の産物だ。彼らの手法を非難するだけで、そもそもこんな怪物を生み出した体制の問題点を放置することは許されない。

(翻訳:土方奈美)

フューチャー・ネーションの6原則ーー『フューチャー・ネーション』#6 へ続く)

画像2

【目次】
日本の読者のみなさんへ
Introduction グローバリズムをアップデートせよ
第1章 グローバリストとナショナリスト
第2章 誰も排除しない──第1の原則
第3章 ミッションを定め、敵を見きわめる──第2の原則
第4章 国民国家を守る──第3の原則
第5章 移民の自由化にはこだわらない──第4の原則
第6章 勝者のタダ乗りを許さない──第5の原則
第7章 システムを支えるルールを公平に──第6の原則
第8章 フューチャー・ネーションへ
謝辞
訳者あとがき