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資本主義は「限界」か?──『資本主義の中心で、資本主義を変える』

なぜ、企業は毎年成長を求められるのか?

はじめまして。NewsPicksパブリッシング編集の的場優季です。
新卒入社したベンチャーで、IR業務を担当しながら疑問に思っていました。

「脱成長」「ポスト資本主義」は何十年も叫ばれています。「成長」に疲れた私たちは、資本主義から“脱する”べきなのでしょうか? 

その答えを知りたくて、書籍編集者に転身した昨年、資本主義の「ど真ん中」・世界トップの証券会社ゴールドマン・サックスで1兆円ビジネスを推進しながら持続可能性を訴える「異端の」人物を訪ねました。

NewsPicksパブリッシングの新刊『資本主義の中心で、資本主義を変える』のアツい冒頭を抜粋し、お届けします。


はじめに


「ゴールドマン、3200人削減」
2023年1月11日、日経新聞の夕刊一面に、米国系証券会社ゴールドマン・サックスの大量解雇を報じる記事が載った。夕刊を待つまでもなく、そんなことは知っていた。
なぜなら私は、まさにその3200人の一人なのだから……。

「47階のミーティングルームに来てもらえるかな」
その6時間ほど前、いつになく神妙な口調で上司から私のデスクに電話がかかってきた。47階は応接フロアなので、社員同士のミーティングでは通常使わない。

「そういうことか……」 
リーマン・ショックのときもそうだったが、従業員に解雇を通知する場合には、なるべく他の従業員の目につかな47階でコミュニケーションが行われる。ちょうど会社のリストラがメディアで報道されていたタイミングであったので、このあとの展開を直感的に理解しながらも、上司の待っているミーティングルームへ向かった。そこで自分が人員削減の対象になったことを告げられたのだ。

「間に合わなかったか……」

私が成し遂げたいことのために、「世界最強の投資銀行」の看板は非常に利用価値があったのだが。

47階のミーティングルームを出たあと、同じように解雇を通知された同僚と出くわした。10年ぶりの友人に出会ったような妙な連帯感を感じながら、その同僚と一緒にオフィスを出ることにした。解雇通知を受けてすぐ、最低限の身の回りのものだけを持ってオフィスをあとにする。
おそらく二度と、戻ることはない。 

資本主義を変える、そのためには「資本主義の中心」にいる必要があると私は考えていた。

短期的な成長が目的化していることは問題だが、資本主義そのものは引き続き使う。世界の持続可能性を高めるためにも、日本が経済力を取り戻すためにも、資本主義の根本原理を理解したうえで「うまく使いこなす」べきだというのが私の主張だ。

証券業界で22年、そのうちゴールドマン・サックスでは16年、最前線で資本主義と闘ってきた。毎年成長することが求められる「現実」のなかで、次世代に持続可能な社会を残すという「理想」を追求していくために、資本主義のど真ん中で誰よりも考え抜いてきたつもりだ。

一朝一夕に何かを変えられるわけはない。資本主義を動かす「お金」の流れを深く理解し、その流れ自体を変えていく。そのために私は、日本の資本市場の奥深くまで切り込むことになった。どんなに追いつめられても、顧客への提供価値や長期的な社会へのインパクトを考慮することにこだわってきた。
しかし、短期的な資本市場が求める利益水準とのギャップを埋め切ることができず、ついに会社を去ることになる。

現在の世界情勢を鑑みると、このままでは次世代に「持続可能な世界」を残せる可能性は低いと言わざるをえない。しかし、「挑戦するのか、しないのか」と問われれば、私は「挑戦する」ことしか考えていなかった。


資本主義は「限界」なのか?

ゴールドマン・サックス(以下、”GS”)という会社は、生き馬の目を抜くような資本主義の本場である米国で、150年以上生き残ってきた証券会社だ。M&A助言業務で常に世界トップクラスの実績を叩き出すだけでなく、これまでに複数の米国財務長官を輩出し、米国の経済だけでなく政治にも大きな影響を与え続けてきた。その強大な影響力ゆえに、一部では「世界最強の投資銀行」とか「泣く子も黙るゴールドマン」と揶揄されることもある。 

これは「徹底的に結果にこだわる」というGSの企業文化のなせる業であり、GSの従業員は、「結果を出さなければ生き残れない」という厳しい生存競争にさらされることになる。私がそれまで働いてきた他の証券会社と比べても、求められる収益水準は桁が1つ違うようなイメージだった。

そうすると取り扱う金額も必然的に大きくなる。私は、たった4人の部署で年間1兆円のビジネスを作り出すという目標をずっと持っていた。残念ながら在職中には道半ばとなったが、年間7000億円まで伸ばすことができた。1兆円ビジネスの達成は後進に託したいと思う。

そのような環境で、私はリーマン・ショックをはじめ、何度も繰り返される金融危機を目の当たりにしてきた。

常に成長し続けることが求められる「成長至上主義」に、ずっと疑問を持っていた。成長し続けなければならないという暗黙の前提条件が存在し、成長がすべての問題を解決するかのような幻想のなかで、環境破壊や社会の分断といった問題が置き去りにされている。

私と同じような疑問を持ち、「成長は必ずしも必須ではない」と思っている人もいる。しかし、社会からはじき出されてしまうことを恐れて口に出す勇気を持つことができず、誰もが気づかないふりをしているのではないだろうか。少なくとも、資本主義のど真ん中ともいえる証券業界にはそのような空気がいまも蔓延している。

「成長至上主義」による弊害が目立ち始め、「何かがおかしい」という思いを持つ人が増えるなかで、その原因を資本主義に押しつける論調は枚挙に暇がない。果たして本当に資本主義は限界を迎えていて、我々は資本主義に変わる新たな経済システムを構築しなければならないのだろうか?

現在の資本主義にも問題があるのは周知の事実だ。しかし産業革命後のグローバル化のなかで純粋な社会主義国家の影響力が低下していき、資本主義より他に優位な経済システムが見当たらないなかで、まずはその本質を理解しなくてはならない。

要素に分解してみると、資本主義の本質ではなく、その使われ方に問題があることが見えてくる。後ほど考察を加えていくが、「成長至上主義が資本主義の本質ではない」と私が考えているということにだけ、ここでは言及しておきたい。 

不都合を起こしている部分は修正し、使える部分は引き続き使い続ける。この本の主題は、そうやって「資本主義を使いこなす」ことが、持続可能な社会の構築に向けて我々がとるべき方針であるということだ。

資本主義を「疑う」からこそ、資本主義の「中心」へ

環境問題や社会問題を悪化させている資本主義に疑問を持った私は、会社を辞めて国際機関に転職をしようと思ったことがある。しかし、たとえ高尚な理念を持つ国際機関に転職したところで、資本主義の流れを変えられるとは思えずに転職を断念した。資本主義の外からの働きかけだけでは、資本主義を変えることはできない。

たとえば野球の試合をしたとしよう。負けたチームが「ルールがおかしいから、ルールを変えよう」と言ったところで、負け犬の遠吠えに聞こえてしまう。しかし試合に勝ったチームが、けっして自分に有利な形ではなく、全員にとって公正なルールに変えようと提言すれば、誰も文句は言わないだろう。

「ゲームのルールを変えられるのは、ゲームの勝者だけ」。現状の資本主義のルールのなかで力を持った人が発言をすることではじめて、資本主義の流れを変えることができるのだと私は考えた。そして私は資本主義を中から変えるために、資本主義の「中心」ともいえる場所、つまりGSで闘い続ける決断をしたのだった。

日本の資本主義社会においては、接待や日頃の付き合いなどで取引が決まり、商品力が後回しにされがちだ。つまり是々非々(良いものは良い、悪いものは悪いということ、「忖度」の対義語とも言える)でものごとが決まることが少ないという課題がある。

私はこれが日本の競争力低下の根本要因とも考えている。この悪癖は日本の商習慣といえるくらい日本社会の隅々にまで根づいており、その解決のためには、「日本社会の価値観そのものを変えるような取り組み」が必要だ。

日本社会の現場には安定を求める人々の生活があり、その結果として「しがらみ」ができあがり、変化を容易には許容しない強力な力が働いている。そうすると、「あるべき論」の前に、どうしても生活に直結する目先の損得が先に来てしまう。 

そのような難題に立ち向かうことは困難を極めた。
ときには「誰が戦後復興の経済成長を支えたと思ってるんだ!」と声を荒らげられることもあった。「あまり悪いうわさが立ったら、業界のブラックリストに載ってしまいますよ」と忠告を頂いたこともあった。社会の価値観が変わるというタイミングは、特定の誰かが悪いわけではなく、それぞれが信じる正義どうしの闘いとなってしまうのだ。

しかし、誰かがこのしがらみを解消しなければ、日本は変わらない。自ら覚悟を決めて資本主義のど真ん中にいた私は、「私にしかできないことがあるのであれば、やらねばならない。それが私の人生に意味を与えてくれるのだから」という思いでこれまでやってきた。


Up or Out(成長か退場か)の世界で

「資本主義を使いこなす」ことを前提とすると、たとえば私が経験した解雇制度に関する議論を避けて通ることはできない。クビになるということは、日本社会においては口に出すのも憚られるくらいにセンシティブなできごとであるのは想像に難くない。一方、米国社会では従業員の雇用に関する考え方が日本とは大きく異なり、従業員の解雇は日常茶飯事だ。米国の会社で働く日本人スタッフも、いつ自分がその対象になるかわからないという緊張感と覚悟を常に持っている。

もちろん解雇は生活に大きな影響がある一大事ではあるが、従業員側には解雇されないように必死に努力をするというインセンティブが働く。その緊張感が自分のスキル・アップにつながり、たとえどのようなことが起こっても次の挑戦への道を切り拓く原動力となるはずなのだ。

また、従業員を解雇するという難しい決断ができないままに会社全体が沈んでいってしまったならば、誰も幸せにならない結末が待っている。一見すると非情に見える人員削減だが、使いようによっては、我々の社会の活力につながる有用な仕組みだと私は考えている。本当の優しさは非情にも見える。見せかけだけの優しさは害悪をまき散らすだけだ。

GSには、「成長できないのであれば会社を去るしかない」という苛烈な競争環境が存在しており、平均勤続年数は5年程度とも言われている。徹底的に結果にこだわる企業文化が醸成されているため、従業員は与えられたポジションにおいて常に120%の結果を出し続けることが求められる。それができないのであれば、そのポジションはすぐに他の人に取って代わられることになるのだ。

結果を出せない期間が続くと、クビとは言わずとも、暗に諭されることになる。
「君にはもっと他に、輝ける場所があるはずだ」
これを言われたら、次の職場を探し始めたほうがいい。
このような環境では、短期的な結果につながらないことに取り組む余裕は誰にもなくなってしまう。このような苛烈な競争環境を端的に表した業界用語が「Up or Out(アップ・オア・アウト:成長か退場か)」だ。
そんななか、営業部門の部長として会社の求める収益に対する責任を一身に背負いながらも、「資本主義を使いこなし、持続可能な社会を次世代に残したい」という理想論を叫び続けることは困難どころか、ほぼ不可能と言っても過言ではない。何度もギリギリのところまで追い込まれた。それでも、資本主義を使いこなしていくには、資本主義のど真ん中で闘い続けなければ意味がない。

なかには私と同じ思いを持つ人もいた。しかし短い時間軸で成長を求める資本主義の強大な圧力の前には為す術がなく、資本主義の影響を受けづらい他の場所を求めて会社を去っていった。

成長至上主義がはびこり、時間軸が短期化してしまった資本主義社会のど真ん中で「理想論」を掲げるのであれば、いつ会社をクビになるかもしれないという覚悟を持たなければならない。しかし、所詮はサラリーマンなのだから、クビになっても死ぬわけではない。自分が人生をかけて取り組みたいと思えることがあるのであれば、クビになることなんて恐れてはならないのだ。

そのような覚悟を持つと、会社との関係も「雇われている」という感覚ではなくなる。会社の看板を使い、自分が望む長期的な取り組みをさせてもらう。その代わりに、それに見合う経済的メリットを会社に提供する。それができている間は協働するし、 そのバランスが崩れれば関係を解消するのが当然の流れとなる。自分の人生の目的を達成するために、常に背水の陣であるという緊張感を持ちながら会社と真剣勝負を続ける日々だった。


世界をよくする、日本から

2023年には野球の世界一を決めるWorld Baseball Classic(WBC)で日本が優勝を成し遂げた。米国にも負けないくらいのパワーで完全優勝を成し遂げることができたからこそ、日本の美学である謙虚さや利他の心が世界中から注目されているのを実感している。その後のメジャー・リーグにおいても、圧倒的な結果を残しながらも謙虚で驕らない大谷選手の背中を見て、多くの選手が彼の真似をしようとしている。カナダにおいては、道徳の教材に大谷選手が取り上げられる話にもなっているそうだ。

WBCでの日本の優勝は、これとまったく同じことを経済界で成したいという私の思いを後押ししてくれたできごとであった。日本の野球選手が素晴らしい結果を残しているからこそ、アメリカの野球界が変わっていく。はたして日本の経済界は、世界を変えられるだけの力を持っているだろうか?

日本という国は、持続可能な社会を構築していくにあたって素晴らしい知見を有していると私は考えている。国民は高い道徳水準を持って助け合い、甚大な自然災害に直面しても何度も立ち上がってきた。世界に誇るべき「謙虚さ」や「利他」という素晴らしいコンテンツを持っているにもかかわらず、それを支える経済力が伴っていないがゆえに発信力が乏しく、宝の持ち腐れになってしまっているのではないだろうか。

日本が経済力を取り戻すことで、世界が聞く耳を持ってくれるはずだ。他者と、自然と共存してきた日本が誇る素晴らしい精神文化が世界に伝わることで、世界の持続可能性に大いに貢献できると私は思っている。そしてそのためには、「ゲーム」に勝たなくてはいけない。資本主義の「中心」で闘い続けなければならないのだ。

本書では、私が資本主義社会のど真ん中で働いてきた20年以上の間、ときには資本主義のダイナミズムに酔いしれ、ときには暴力的でさえある資本主義に翻弄されてきた経験をベースに、どうすれば資本主義を使いこなして持続可能な社会を次世代に残せるかを実践的な視点で語ることに主眼を置いている。

古代ローマ帝国において賢帝とも呼ばれたマルクス・アウレリウスは、こう言った。「善い人間の在り方について、論ずるのはもういい加減に切り上げて、善い人間になったらどうだ」。頭で考えるだけではなく、少しでも良いので実践してみるというのが私の基本スタンスだ。

「資本主義を使いこなして、持続可能な社会を次世代に残す」という文脈の中には、バズワード化してしまったSDGsやESGという概念も当然含まれることになる。特に資本市場では、これらのバズワードに振り回されている人が非常に多いように感じる。しかし既成の言葉ありきでものごとを考えるのではなく、自分たち独自の言葉でストーリーを語ることが重要だ。本書が、SDGsやESGに関する情報の海でおぼれている大勢の方にとっての救命ボートにもなれば幸いだ。


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1章では、資本主義という名の経済システムを要素ごとに因数分解してみよう。何が資本主義の根本原理で、何が後天的に備わってしまった思想なのかを明確に切り分けたうえで、資本主義の功罪を分析してみたい。資本主義を使いこなすためにはまず、現状の資本主義に対する客観的な分析が必要不可欠だ。

2章では、持続可能な社会の構築に向けて、私が資本主義のど真ん中ともいえるゴールドマン・サックスで、資本主義を内側から変えるために闘い続けてきた現場をお見せしたいと思う。日本の社会は是々非々で(つまり忖度なしに)ものごとが決まりづらいという問題点を抱えており、日本社会の価値観を変えるという壮大な試みが必要とされた。

そして3章では、日本の資本主義社会を3つに分解し、消費・労働・資本市場それぞれをより活発な場にするために、日ごろ考えていることを書いてみたいと思う。日本の闇ともいえる部分をたくさん見てきた。特に合理的でダイナミックにものごとが決まる米国企業と比べてしまうと、その違いは明らかであった。確かに日本には米国のように、「是々非々」でものごとが決まるダイナミズムが足りていないが、一方で謙虚さや利他という素晴らしい精神文化が根付いている。この日本に足りないものさえ補うことができれば、誇りを持って次世代に引き継いでいける素晴らしい国になるはずだ。

こうした議論に絶対的な「正解」はない。
ゆえに、この本に「答えは書いていない」と事前にお伝えしておかねばならない。この本は「持続可能な社会の構築」に向けた、ちょっと特殊とも言えるものの考え方の一例に過ぎない。議論のきっかけになれば幸いだ。

風邪に効く特効薬はないが、薬をもらうと安心する。しかし本当に大事なのは対症療法ではなく、そもそも風邪をひかないよう身体を鍛えることだ。対症療法のように「答えっぽいもの」を用意するよりも、この本によって読者の皆様の心に小さな変化を生み出すことができるならば、このうえない喜びだ。

小さな変化が、いずれ大きな変化をつくり出す。この「流れ」にこだわりを持たなければ、実際に世の中を変えることはできないと私は信じている。

(本書『資本主義の中心で、資本主義を変える』へ続く)

清水 大吾(しみず・だいご)
1975年、愛媛県伊方町生まれ。 2001年に京都大学大学院を卒業し、日興ソロモン・スミス・バーニー証券(現シティグループ証券)に入社。 07年にゴールドマン・サックス証券に入社し、16年からグローバル・マーケッツ部門株式営業本部業務推進部長(SDGs/ESG担当)。社会の持続可能性を高めるためには資本主義の流れを変える必要があると考え、社会の価値観そのものを変えるべく啓発活動を推進。 23年6月、同社を退職。 「人生最後の10年」の集大成をかける分野を模索して求職活動中。

目次
1章 資本主義は「限界」か?
 1-1. 資本主義の方程式
 1-2. 競争原理がすべてを動かす
2章 お金の流れを根本から変える
 2-1. 日本の資本市場のボトルネックは「忖度(そんたく)」文化
 2-2. 「忖度」を解くカギは「緊張関係」
 2-3. 「空気の読めない人」が時代をつくる
3章 ピラニアを放り込め!
 3-1. 過去の言葉になった「Asia ex Japan」(日本を除くアジア)
 3-2. 「健全な緊張感」のもたらし方

episode. (エピソード)
・「成長を疑うヤツは出て行け」
・自ら「成長至上主義の歯車」を回すとき
・悪夢の長い階段
・「キレイごと」追求のための、1000億円超の案件