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はじめに——シン・ニホン AI×データ時代における日本再生と人材育成#1

25万部超の名著『イシューからはじめよ』から9年――。
著者渾身の力で投げ込む、ファクトベースの現状分析と新たなる時代の展望とは。『シン・ニホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成』の一部を、特別に公開します。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

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はじめに

「安宅さん、この『シン・ニホン』、ちゃんと本にしたほうがいいです」

ある嵐の日、対談を終えた後、その相手だったS氏に、しっかりと目を見て、真剣かつ真摯に言われた。

「でも、シン・ニホンという言葉を2016年のTED×Tokyoで生み出してからもう3年、何十回、もしかしたら100回近くさまざまなところで話をしてきました。財務省の方によると、今でもホームページに上がったシン・ニホンの資料へのアクセスは群を抜いて多いそうです。今さらだと思うが」

そう言うと、S氏は首を振った。

「それでも、まとめて紙で出すべきです。このままでは、届くべき多くの人に届かないのです。間に合わなくなります」

めずらしく重い球を受け取り、「シン・ニホン」を書くのか、と頭がいっぱいになった。夜中に目が冴え、起き上がり、よし書こう、そう決意した。
『シン・ニホン』……この少々変わったタイトルで話すようになって、もうかれこれ3年になる。このタイトルの由来は本書を読んでいただければわかる。

2019年秋現在、日本には不安と停滞感、現実を直視しない楽観、黄昏感が満ちている。悲観論や批判ばかりの人、危険を煽るだけの人も多い。
単なる悲観論、それは逃げだ。自分たちが未来も生き続けること、自分たちが次の世代に未来を残す存在であることを無視している。
危機感を煽ることにまったく意味がないとは言わないが、本当に未来を変えるべきと思うなら、なぜもっと現実に向かい合い、建設的(Constructive)な取り組みやイニシアチブを仕掛けないのか。

誰もが、なぜあのとき、自分たちは仕掛けなかったのか、見て見ぬ振りをしたのかと気づくときが来るだろう。失われた時間は帰ってこない。
破壊するだけの(Destructiveな)アイデアは何も生み出さない。「文句は言っていい、しかし言った人が直す」は僕らが保育園や幼稚園で学んだ、この社会の掟だったはずだ。

自分を取り巻く現実を直視しないのは人の常だが、それにしても、この世の中の変化と意味合いをファクト(事実)に基づき、全体観を持って語る建設的な議論はとても少ない。

現代の経済のルールや知的生産のルールが大きく変わってしまったこと、日本が今どういう状況にあるかということ、そしてその中で個人や社会は何をしなければいけないかということ、これらをひとつなぎに通した議論を見ることもまずない。

関連する領域が多い上、それぞれ個別の専門家が語っているから、ということももちろんある。この専門化された社会では、他人の領域に口を出さないことが半ば良識とされているということもあるだろう。
一方で、これらの変化はすべて、誰しも自分の人生に直接影響してくる。

ほとんどの人は、あまりにも多くのことが変数として一気に動く目まぐるしさの中で、変化が落ち着く日を待っているようだ。でも、残念ながらそんな日は来ない。世界は昔も今もダイナミックに動いてきた。これからもそうだ。
では、どうしたらいいのか。
僕の答えは、振り回される側に立つことをやめる、臭いものに蓋をすることはやめるということだ。

世の中には振り回す側と振り回される側しかない。台風には目(eye)とよばれる中心があるが、目の中は無風だ。青天すら見えるときがあるという。その外でどれほどの暴風雨が起きていようとも。

僕ら一人ひとりは、望むと望まないとにかかわらず、これからの未来を生きていくことになる。臭いものに蓋をしても隠し通すことはできない。必ずその現実と向かい合う日は来る。それも次世代ではない。おそらく、問題のほとんどは僕らが生きているうちに顕在化する。

大切なのは、自らハンドルを握り、どうしたら希望の持てる未来になるのかを考え、できることから仕掛けていくことだ。濁流だからと腰が引けたまま待つのではなく、ラフティングのように流れに乗ることを逆に楽しもうということだ。

とはいえ、考える材料は必要だ。
振り回すどころか、こんな複雑な世の中を読み解くことなんてできないと思われる人も多いかもしれない。臭いはずなのに気づかれていないだけの、あるいは直視されていないだけの現実も多いかもしれない。

よいお知らせ(good news)は、今起きている変化は、これまでとは異質なだけで、気づいてしまえばそれほど理解が難しいわけではない、ということだ。

気づきにくい理由は、前提そのものが質的に組み変わっていることが多く、これまでの慣性で思考する我々の本能では判断を見誤ることが多いのが1つ。もう1つは、これが複数の次元で、同時に連動しつつ起きているからに過ぎない。

審議会や講演会の場では、

・現在の世の中の変化をどう見たらいいのか?
・日本の現状をどう考えるべきか? その中で産業再興、科学・技術政策はどうあるべきか?
・すでに大人の人はこれからどう生き、どうサバイバルしていけばいいのか?
・この変化の時代において、子どもにはどのような経験を与え、どう育てていけばいいのか?
・若者は、このAIネイティブ時代をどう捉え、どう生きのびていけばいいのか?
・国としてのAI戦略、知財戦略はどうあるべきか? 企業はどうしたらいいのか?
・AI時代の人材育成は何が課題で、どう考えたらいいのか? 一人ひとりはどう学べばいいのか?
・日本の大学など高等教育機関、研究機関の現状をどう考えたらいいのか? 今後、どうやったら元気になるのか?

など、実に多様なテーマでお題をいただいてきた。オーディエンスもバラバラだ。官もいれば、産も学もいる。経済系の人もいれば、教育系、データ×AI系、科学・技術系、財務系、法律系の人もいる。大人もいれば、子を持つ親、学生、中高生もいる。話す場ではそのどれかなのだが、これらをひとつなぎに俯瞰したものを描けないか、という途方もない試みに挑んだのがこの本だ。

「シン・ニホン」には数十のバージョンがあり、全体を見たことのある人はいない。扱っているテーマが極めて広範だからだが、全体像をまとめる試みは自分としてもこれが初めてになる。また、通常図表をみれば明らかとして十分お話しできていない部分もなるべく丁寧に説明した。以前、僕の話を聞かれたことのある人でも何割かは初見のものが多いだろう。

それなりに広範な領域で生きてきた自分でも、専門とは言い難いことにもかなり首を突っ込んで書いた。これだけの広がりをつなぎ合わせないと見えない大切な話がずいぶんとあるからだ。それを一緒に感じ、考えてもらえるのであれば、と思って自分の限界までストレッチしてこの本を書き下ろした。
確かに日本にとっても人類にとっても、相当にしんどい局面ではある。しかし、手なりの未来が受け入れ難いとき、それをそのまま待つのは負けだ。人間の持つ、おかしな未来が来ることを予測する力は、予測される未来を引き起こさないためにある。どんなことを仕掛けたら未来を変えられるのか。それを考え、仕掛けていくのはとても楽しい。一人ひとりがヒーローになり得る時代なのだ。

僕らは少しでもましになる未来を描き、バトンを次世代に渡していくべきだ。

もうそろそろ、人に未来を聞くのはやめよう。
そしてどんな社会を僕らが作り、残すのか、考えて仕掛けていこう。

未来は目指し、創るものだ。

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目次
はじめに
1章 データ×AIが人類を再び解き放つ――時代の全体観と変化の本質
2章 「第二の黒船」にどう挑むか――日本の現状と勝ち筋
3章 求められる人材とスキル
4章 「未来を創る人」をどう育てるか
5章 未来に賭けられる国に――リソース配分を変える
6章 残すに値する未来