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資本主義の「すきま」を埋める哲学──『世界は贈与でできている』#1


社会を裏で支えている「お金で買えないもの=贈与の原理」とは何か? どうすれば「幸福」に生きられるのか? 人間と社会の意外な本質をえぐり出し、各所で話題の哲学者・近内悠太さん。待望のデビュー著書『世界は贈与でできている』を、一部特別公開します。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

コメント 2020-04-03 094850

まえがき 資本主義の「すきま」を埋める倫理学

なぜ「市民の貢献」はお金で買えなかったのか

 1990年代のスイス。
 原子力エネルギーに大きく頼っているこの国では、核廃棄物の処理場が必要だった。
 その建設候補地として、ある小さな村が選ばれた。
 建設の可否を決める住民投票の前に、数名の経済学者が、村の住民に対して処理場受け入れに賛成か反対か、事前調査を行った。すると51パーセントの住民が「処理場を受け入れる」と答えた。
 そこで経済学者たちは、一つの前提を加えた上で、もう一度アンケートを実施した。「国が全住民に毎年、多額の補償金を支払う」という前提だ。つまり、処理場を受け入れてもらう「見返り」として住民の皆さんに大金を払いましょう、という提案を付け加えたのだ。
 すると、結果は予想に反して、賛成派は51パーセントから25パーセントに半減してしまった──。

 これは『これからの「正義」の話をしよう』で日本でも注目された政治哲学者、マイケル・サンデルの著書『それをお金で買いますか』で取り上げられている実話です。
 何の見返りもなく処理場を受け入れると言った住民たちの半数が、「見返りとして大金を払う」というオファーを提示されたとたん、意思を変えてしまったのです。

 この結果は、僕らの常識に反するように思えます。
 僕らは、それに見合う対価や見返りが支払われるのであれば、嫌なことでも引き受けると考えています。ましてや、このスイスの例のように、そもそも処理場受け入れに賛成している住民が、多額の補償金を提示されたとたん受け入れ拒否に回る、というのは不可解です。
 この結果は何を意味しているのでしょうか。

 そもそもなぜ住民たちが処理場受け入れに賛成したかというと、「自分たちの国は原子力に依存しているのだから、核廃棄物はどこかに貯蔵されなければならない」という認識が住民の間にあったからです。つまり、原子力の恩恵をすでに受け取っているのだから、私たち国民がその負担を引き受けなければならない、という「公共心」があったということです。これまでに受け取っていたものに対するお返しとして、自らがそれを引き受けよう──。
 ところが、経済学者たちによる事前調査は、そのような無償の善意を「お金で買おう」としてしまったのです。そしてこのお金は、住民たちにとっては、賛成票を買うための賄賂に見えてしまった。だから反対した、ということだったのです。
 誰かが引き受けなければならない、市民としての貢献は「お金では買えないもの」だったわけです。

「お金で買えないもの」の正体

 お金では買えないもの。
 実は僕らは、この正体が分かっていません。
 実際、先ほどの結果が僕らの常識に反しているように見えるという点にそれが示されています。
 お金で買えないものとは何であり、どのようにして発生し、どのような効果を僕らにもたらすのかが分かっていない。だから、常識に反するように思われるのです。

 本書では、このような、僕らが必要としているにもかかわらずお金で買うことのできないものおよびその移動を、「贈与」と呼ぶことにします。

 そして、僕らはお金で買えないもの=贈与のことがよく分かっていません。
 でも、それもそのはずなのです。
 学校でも、社会に出てからも、贈与について誰も僕らに教えてくれなかったからです。
 しかし、冒頭のスイスの例のように、僕らはお金で買えないもの、つまり贈与を必要としています。

 必要であり重要なのに、その正体が分かっていない。

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人間関係の根底には「贈与の原理」がある

 僕らが贈与について理解していない証拠はまだあります。
 家族や友人、恋人など、僕らにとって大切な人との関係性もまた、「お金では買えないもの」です。
 そして、家族や友人、恋人との関係で悩んだことのない人は少ないはずです。
 なぜそのようなことが起こるのか。そこにはお金では買えないもの=贈与の原理が働いているからです。
 贈与の原理が分かっていないからこそ、僕らは大切な人たちとの関係を見誤るのです。

 だとするならば、僕らにまず必要なのは、贈与を正しく語る言葉です。
 そして、その言葉を通して、贈与の原理を見出すことです。

哲学は結局、何をしているのか?

 哲学者の戸田山和久は、「哲学は結局のところ何をしているのか」という問いに、「哲学の生なり業わいは概念づくりだ」と答えています。 では哲学は何のために概念をつくるのか。答えは「人類の幸福な生存のため」です。
 戸田山は、一見対極にある「工学」が、実は哲学とよく似ていると言います。

 概念は人工物である。よりよい人工物を生み出すことで人類の生存に貢献する。この点で工学と哲学は似ている。もちろん、どんな人工物も、正義の味方になったり悪魔の手先になったりする。だとするならば、哲学者のつとめは、できるだけよい概念を生み出すことだろう。ここも工学と似ている。
(『哲学入門』、444‐445頁)

 つまり言葉や概念は、僕らが幸福に生きていくためのテクノロジー、生活の技なのです。
 そして、幸福な生を実現するためのツールを、僕らは自ら作り出すことができる。

 そんな生活の技として、本書は20世紀を代表する哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの力を借ります。
 なぜウィトゲンシュタインなのか。
 それは、彼が「言語ゲーム」という、きわめてユニークで強力な概念装置を発明したからです。
 この概念装置を用いることで、僕らは世界の見えかたを大きく変えることができます。

 概念の獲得は当然、僕らの使う言葉を変えます。
 そして、言語の変化は行動と生活の変化を生む──。
 これがウィトゲンシュタインの言語ゲーム論が示した事実でもあります。

世界と「出会い直す」ための贈与論へ

 先ほど、家族や友人、恋人など、僕らにとって大切な人との関係性はお金では買えないと述べました。そして、そこには贈与の原理が働いているとも。
 だから、贈与に関する新しい言葉と概念を得て、贈与の原理を知ることで、行動と生活が変わり、僕らにとって大切な人たちとの関係性が変わるのです。
 まったく新しい関係性になるというのではなく、大切な人たちと出会い直すのです。

 贈与の原理。
 言語の本質を明らかにしたウィトゲンシュタイン哲学。
 この二つを理解することで、僕らはこの世界の成り立ちを知ることができます。
 これが本書の目的です。

 従うべきマニュアルの存在しないこの現代社会を生きるためには、哲学というテクノロジーが必要なのです。
 さらに、本書の議論を通して、「生きる意味」「仕事のやりがい」といった金銭的な価値に還元できない大切なものを、どうすれば手に入れることができるのかも明らかになります。

 贈与の原理と世界の成り立ちから、生きる意味へ。
 では、始めましょう。

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まえがき 贈与の原理と世界の成り立ち
1章 What Money Can't Buy─「お金で買えないもの」の正体
2章 ギブ&テイクの限界点

3章 贈与が「呪い」になるとき

4章 サンタクロースの正体

5章 僕らは言語ゲームを生きている

6章 「常識を疑え」を疑え

7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」

8章 アンサング・ヒーローが支える日常

9章 贈与のメッセンジャー

あとがき