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私たちの敵は、もはや「他の人々」ではないーー『フューチャー・ネーション』#1

ビル・ゲイツ財団の若きリーダーによるデビュー著書『フューチャー・ネーション:国家をアップデートせよ』。パンデミックから#BlackLivesMatterまで、「団結か、分裂か」で世界が揺れる今、本書が大きな注目を集めています。一部を無料公開いたします。
私たちNewsPicksパブリッシングは新たな読書体験を通じて、「経済と文化の両利き」を増やし、世界の変革を担っていきます。

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日本の読者のみなさんへ(前編)

中国大使の衝撃コロナ発言

 二〇二〇年二月のある日曜日。BBCの政治系トーク番組を見ながら朝食をとっていたぼくは、思わずシリアルをのどに詰まらせそうになった。
 番組では中国の駐英大使が、湖北省で蔓延している得体の知れないウイルスについてインタビューを受けていた。ウイルスはすでに世間の注目を集めており、ぼくが驚いたのはそこではなかった。大使の語った内容だ。

「私たちは国際協調を歓迎する。このウイルスは人類共通の敵だと私たちは考えており、世界が、人類が、人類社会が力を結集し、共通の敵と戦う必要がある」

私たちの敵は、もはや「他の人々」ではない

 大使の発言は必ずしも政治の生々しい現実を反映するものではない。しかしこれは中国の外交官が、イギリスのテレビ番組で当たり前に口にするような話ではなかった。こうしたインタビューでは、中国への批判に反論したり、中国のインフラ投資がもたらす恩恵を長々と語ったりするのが一般的だ。人類が人類に対する共通の敵の前に団結する、といった話が出てくることはまずない。
 
 新型コロナウイルス感染症が世界的パンデミックだと正式に宣言される一カ月前のことだ。この感染症が多くの人命を奪い、経済活動を停止させるだけでなく、政治のあり方を変え、世界に対する新たな見方を生み出す可能性があることにぼくが気づいたのはこのときだ。
 
 ぼくがシリアルをのどにひっかけたこの朝のインタビュー以降、パンデミックを収束させるには世界がひとつになるしかない、という主張をよく耳にするようになった。イギリスのブレグジット(EU離脱)推進派のボリス・ジョンソン首相までが「これは人類対ウイルスの戦いだ」と高らかに宣言した[1]。安倍晋三首相は日本が国際協調において主導的立場を果たすことを約束した[2]。

 しかし世の中はこうしたさわやかな国際協調主義一辺倒というわけではない。他国への非難、孤立主義、ゼノフォビア(外国人憎悪)といった邪悪な主張も幅を利かせている。

的中した予言

本書でぼくは、私たちが直面する最大の脅威は他の人々ではない、気候変動や世界的パンデミック、核兵器の脅威こそが最大の課題であり、世界が団結しなければ克服できない共通の脅威なのだ、と主張した。

ドナルド・トランプの大統領就任やブレグジットなど世界が内向きになる流れがある一方、国境を越える人の移動の増加やユーチューブの世界的普及など、ここ数十年の技術や社会の驚くべき変化によって、人々が人類全体に対して強い絆を感じる土台ができた。自らを「世界市民」と認識する土台ともいえる。本書では、世界人口の半数以上にすでに世界市民(それが何を意味するかはまちまちだが)という自己認識があることを示した。
 
 予測困難で、長期的には必ず起こる重大かつ恐ろしい出来事によって、人類社会のあり方を改善しようという政治的エネルギーが生まれる可能性がある、ともぼくは指摘した。本書執筆中の二〇一九年当時念頭においていたのは、超大国同士の戦争が起こり、一九四五年と同じように優れた国際システムを構築しようという機運が生じる、あるいはあの時点で世界の数十億人の有権者が最重要課題と考えていた気候変動によって、為政者が国際協調を何よりも重視するようになる、といった事態だ。
 
 だが非常に残念なことに、ぼくの予想よりはるかに早く、人類はそうした試練に直面した。本稿執筆時点で新型コロナウイルスは世界で最も脆弱な国々で広がりはじめたばかりだが、死者の数はすでに、「世界最大の人道危機」と呼ばれた二〇〇三年以降のスーダン・ダルフール紛争のそれを上回っている[3]。経済損失は二〇二〇年だけで、アメリカ政府が第二次世界大戦中に支出した四・一兆ドルの二倍以上になることが予想されている[4]。

コロナは変革を生むのか

 私たちは今、歴史の転換点にいる。世界が協調、繁栄、公平への道を進むのか、それとも分断、対立、恐るべき格差への道を進むのかが決まろうとしている。
 
 過去にはこうした悲劇が、最終的に大きな進歩につながったケースが幾度もあった。一四世紀なかばに西ヨーロッパの人口の三分の一を死にいたらしめた黒死病(ペスト)は、労働者の交渉力を高め、その後の民主主義社会の基礎をすえたといわれる。アメリカは南北戦争によってバラバラになったものの、そこから各州が緩やかに結びついた現在の国家体制が生まれた。第二次世界大戦が起こらなければ国連は誕生しておらず、世界保健機関(WHO)のような国連機関が存在しなければ、現在の私たちを取り巻く状況ははるかに困難なものになっていただろう。
 
 とはいえ「すべての試練は人を強くする」という格言が当てはまらないこともある。第一次世界大戦が残した傷跡には、新たな戦争の種が潜んでいた。二〇〇三年のイラク侵攻は強固な民主国家の誕生にはつながらず、二〇〇八年の金融危機を経ても世界の経済問題の多くは未解決のままだ。
 
 新型コロナウイルス危機は、変革のきっかけになるのか、それとも死のスパイラルの始まりなのか? 評論家のなかには、国際システムの終わりを予想する声もある。英『エコノミスト』誌は読者に向けて、こんな陰鬱な警告を発した。

「グローバル化の時代に別れを告げよ、そしてそれに代わる新たな時代を憂慮せよ[5]」

 もっと楽観的な見方もある。国際政治学者のイアン・ブレマーは、新型コロナウイルスは「ゴルディロックス的危機」ではないか、と問いかけた。私たちに本質的変化を迫るだけの重大性はあるものの、より良い世界を構築する能力を完全に毀き損そんするほど破滅的ではない、いわば「絶妙な加減」の危機という意味だ[6]。

 その長期的影響がどれほどのものになるのか、見きわめるのは時期尚早だ。こんな試練を望んでいた者はいない。私たちにできるのは、自らが実現したい未来に向けて真剣に努力することだけだ。
  
(翻訳:土方奈美)

1. "Boris Johnson To Say It's 'Humanity Against The Virus' In Race For Covid-19 Vaccine", Huffington Post, 3 May 2020

2. "Japan's Abe vows 'unprecedented steps' to protect virus-hit economy, urges global cooperation", Reuters, March 14, 2020

3. Worldometers.infoによると、二〇二〇年五月一五日時点で新型コロナウイルスによる世界の死者は三〇万三八八一人。ダルフール紛争については以下を参照。Degomme, Olivier; Guha-Sapir, Debarati (23 January 2010). "Patterns of mortality rates in Darfur conflict". The Lancet. 375 (9711): 294–300.

4. 新型コロナウイルスによる経済への影響については以下を参照。"Coronavirus 'could cost global economy $8.8tn' says ADB", BBC News

5."Goodbye globalisation", Economist 16 May 2020

6.Eurasia Group briefing, 2020

日本のみなさんに認識してほしいことーー『フューチャー・ネーション』#2 へ続く)

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【目次】
日本の読者のみなさんへ
Introduction グローバリズムをアップデートせよ
第1章 グローバリストとナショナリスト
第2章 誰も排除しない──第1の原則
第3章 ミッションを定め、敵を見きわめる──第2の原則
第4章 国民国家を守る──第3の原則
第5章 移民の自由化にはこだわらない──第4の原則
第6章 勝者のタダ乗りを許さない──第5の原則
第7章 システムを支えるルールを公平に──第6の原則
第8章 フューチャー・ネーションへ
謝辞
訳者あとがき