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3ピレネー山脈を越える

2022-09-09

巡礼をして17年もたっている。手元に残っているのは巡礼手帳しかない。写真もない。たぶん取ったであろうメモもない。

後はパブリック情報を読み返して、加工し旅の詳細を伝えるしか手はなさそう。そう思いながらこれを書いている。

巡礼第一日目は、ピレネー山脈を越える。

実はこれが一番きつかった。

こんなに大変だとは全然知らんかった。あれ若かったから苦もなく登れたんだと思う。

なだらかに舗装された山道を大きく登り、大きく降る道だったと記憶する。30キロぐらいの距離である。

と思ってこのピレネー山脈を越えた日本人巡礼者の手記を読んでいると、写真も豊富にあり、いかに自分の記憶が単純化されデフォルメされているか知った。汗

天気が良かったのが唯一の救い。

途中で、水を飲み、りんご(夕飯か朝食のデザートに出たものを取り置いていた)、クラッカーをかじった。50メートルおきにコンビニのある日本なんかに住んでいたので、まさかこの行程に店が一軒もないなんて知らなかった。

前後に数人の巡礼者がいたように記憶する。足の遅いぼくはどんどん抜かれていった。

この頃は、販売車の巡回もなかった。(最近、巡礼した人のブログで見たような。)

とにかくヘトヘトになりながら夕方5時ごろ大きな巡礼宿に到着した。確か使わなくなった男性の修道院を巡礼宿に改装したものだった。広い修道院の中にずらーっと二段ベッドが並んでいたと記憶する。

(巡礼宿の案内にあった写真を見ているが、どうもこの左の石造りの建物がその修道院のようである。でも全然記憶にない。もしかしたらあれは夢だったのか?)

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最近の巡礼者の記録だと、二階建てに改装されて随分と小綺麗になっていた。そりゃそうだ。もう17年もたっている。

サンチャゴ・デ・コンポステーラの教会まで直近200キロを徒歩で歩くと巡礼証明書をもらえるが、その統計で巡礼者数はほぼ3倍に増えている。

名前は、S’CONVENTUS HOSPITALIS ROSCIDEVALLIS と巡礼スタンプに書かれている。

日付は、4月24日となっている。

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Roncesvalles と言うところだろう。

人生で最長10キロしか歩いたことのない人間が、比較的平坦とはいえいきなり20キロの大山を越えて歩いているのだ。疲れないはずがない。

もうヘロヘロ、フラフラ。疲労で目が霞んでいた。

受付を済まして洗濯をして、角砂糖を何個も入れた甘くて熱い紅茶を一杯、二杯、三杯と飲んだ。

そして、近くの食堂に行って巡礼定食を食べた。あの当時10ユーロぐらいだったろうか。(最近でも10ユーロ前後のようだ。)緑の豆をつぶしたスープを何回もおかわりした。ものすごい疲労感だったが、食欲は衰えていなかった。これも、誰か数人と食卓を同席したぐらいしか覚えていない。

食後は速攻宿に帰って、薄暗く大きくて高い修道院の天井を見ながらすぐに眠りについた。

つづく