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2 パリから巡礼開始地点へ
NEW!2022-09-09
昨日書き始めた旅行記。
2015年4月、5月のことで記憶はほとんど残っていない。
たぶん実家にはそのときのメモか何か残っているかもしれない。もちろん写真はない。残念だ。
スペイン巡礼はこれとこの後にもう1回やっていて、記憶を混同するかもしれないが悪しからず。
さて、なんとなくたくさん歩きたくなってある日、渋谷から秋葉原まで10キロ歩いてみた。ナイキのスニーカーで歩いて、最後ごろ左足親指あたりが微かに痛くなったのを覚えている。これがスペイン巡礼を始めて後々大問題になることをぼくは知らなかった。
パリのチャールズ・ドゴール空港に降り立ったのを覚えている。それから市内に移動。ホステルに泊まった。それで荷物を置いて市内に、バックパックと、サンティアゴ巡礼ガイドブックを買いに行った。数軒回った。
翌日、モンパルナス駅に行ってTGVのチケットを買って乗り込んだ。席はとても狭く使いづらかった。車内でランチセットを買ったと思う。
途中でTGVを下車した。ローカル線に乗り換えるためだ。もう駅名も失念している。
ローカル線には登山やキャンプに行く出立ちの人々が結構乗っていた。
到着駅は、ピレネー山脈のフランス側にあるサン・ジャン・ピエド・ポー(SJPP)という村である。
以下の図のように、パリ、VEZELAY、LE PUY、ARLESなどフランスからの道はいろいろあるが、ここが有名な巡礼開始地点の一つでもある。
ただ、今では村の様子とか全く記憶にない。
その後、どうやってGTE(フランスでのホステル、アルベルゲ、巡礼宿などの呼び名)を探したか覚えていない。到着すると荷物を置いて巡礼事務所に行った。
巡礼者のためのクレデンシャル(証明書)をもらうためだ。みんな巡礼手帳と呼んでいる。それと巡礼者がバックパックにつけているホタテの貝殻も貰った。数ユーロをお布施した。(ドネーションは言葉が長いので以降もお布施と言いたい。)
宿に戻って、米ノーザンテレコムで働いているというアメリカ人に会った。東京支社にいて日本語がちょっとできた。この人には以降、巡礼路では一度も会わなかった。
お前の英語はほとんど完璧だと言われたのは覚えている。
この日から、スペイン語で道をカミーノ。フランス人をフランシス。合わせてカミーノ・フランシスと呼ばれるフランス人の道を歩くことになる。サンチャゴまで700キロ余り。サンチャゴから大西洋まで歩くと800~900キロぐらいになると思う。
それまで人生で歩いた最長距離は、たぶん渋谷・秋葉原間のあの10キロだと思う。だから、800キロもの道を歩くことがどういうことか想像もしていなかった。それに何の準備もせずにフランス・スペインに来て、いきなり歩き始めるなんて今考えると命知らずだと今は思う。
ちなみにカミーノ・フランシス(フランス人の道)にはサンチャゴ・デ・コンポンポステーラにたどり着くことなく、途中で亡くなった巡礼者の墓標があちこちに点々と立っている。
つづく