見出し画像

==冬の短い話==

「『へのへのもへじ』っていうのは古代人の顔なのよね」
そういう彼女の指先には、見慣れない顔があった。
「パーツのひとつひとつが大きすぎるのよ。でもね、小さく描けばいいってもんでもないのよ」
「垢抜けていないのよ。ひとつひとつがね。わたしの顔みたい」
そう言いながら、彼女は指先のガラスに描いた顔を掌で擦って消した。
大きな窓の中にできた、彼女の擦った小さな窓から雨の日のような雫が5本垂れた。
「ねえ見て、あ、わかんないと思うけど、この眉毛もちゃんと整えないと西郷さんみたいなのよ。上野の」
「あ、いま西郷さんの顔を思い浮かべたでしょ。それ違うから。顔は違うわよ」
「顔は私、でも眉毛は西郷さん」
「ね、垢抜けないでしょ」
そう言いながら、彼女はケラケラと笑った。
うちの窓は大きい。
縦2m幅2mの大きなガラスが2枚
冬になるとその大きな窓が、部屋の中の薪で暖めるストーブの熱と、上に乗せたポットの湯気で結露する。
祖父が設置したというから70年は経っているだろうか。今の最新式のものに比べると不便なところも多いけれど、僕は所々にしゃれた装飾の入ったこの古臭い薪のストーブが気に入っている。
大きな窓は比較的新しく、と言っても20年くらいは経っているだろう。
大通りから広々とした畑を隔てて少し奥に入っているので、目の前には大きなパノラマが広がる。
窓が大きいと冬の断熱の効果は悪くなるのだけれど、父はあえて風景を選んだようだ。
そしてこの古いストーブと比較的新しい大きな窓は意外と相性が良い。
僕がここに住むようになってからの冬の儀式は、スクイーザーで窓の結露を毎日取ることだ。
下の方から上に向かって結露をすくい上げると、面白いように水がスクイーザーの小さなタンクに溜まって行く。
彼女が初めてこの家に来たとき、この儀式がとても気に入って、月に一度が週一度になり、三日に一度から毎日になった。
僕らは結露取りが大好きなのだ。
窓に着く露は取ってもまた数時間もすれば大きな粒になってつき始めるので普段は1回戦、2回戦と交代で儀式を行うのだけど、きょうは上半分が僕、下半分を彼女、と分けてみた。
彼女が窓に落書きを始めたのは、第2回戦目の前半、ぼくが上半分を終わらせた後だった。
友達の似顔絵を描いたり、名前のサインをしたり、落書き大会は続いた。
「私ね人間にはやっぱりどこかお猿さんが残ってる気がするの」
スパークリングワインで体も温まって、落書きも一段落した彼女がソファに横になって言った
「みんなさ、カッコつけてバレないようにしてるけど、笑っちゃうところが必ずどこかに残ってるのよね」
「見せるのがいいのか、見せないのがいいのか、私にはわかんないけど」
「でもね、嘘ついてまで隠すのは間違いと思わない?」
「無理やり隠そうとするから、怒っちゃったり、気難しくなったりすると思うのよね」
「可愛いところをいっぱい見せれば、可笑しいところは見えなくなるのにね…ヒトデが空飛ぶみたいに…」
ぼくが、え?と聞き返したときには、すでに彼女は眠っていた。
手で擦った跡がまた結露し始めた窓には『ののひ』と描かれ大きく笑った顔が浮かび上がっていた。

2017/1/4

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?