==少し長いよくある話==

隣に座った女がいきなり話しかけて来た
「ねえ、同じのもう一杯私にご馳走してくださらない?」
なにそれ?その三流のペーパーバックのようなセリフ。
「そしたら、お礼に面白い話聞かせてあげる」
なにこの、安っぽいハードボイルドみたいな展開。
「いや、別に聞かなくてもいいよ」
とぼくが返事する前に、しわがれ声のマスターが彼女にテオペペのソーダ割りを出してしまったので、ぼくは自分の意思とは関係なく彼女の話を聞かなくてはならなくなってしまった。ついでにお勘定も。
「あのね、きょうはすごくいい日なの」
だいたいこういう店で女の人が言うーいい日ーは2種類あって、本当にお祝いすべきいい日と、何かが終わり再出発への後押しをするための、いい日。
「私が思ってたことがね、ぼんやりと思ってたことが実現したのよ」
「ああ、よくある話だけど、それは良かったね」
ぼくは、まずいけど冷たい赤ワインをおかわりして言った。
どんなにクソまずい赤ワインでも冷やせばそれなりに飲めるようになる。ただし温まったら元に戻るので、その賞味期限は短い。
「私にはね付き合ってる男がいるの」
「いまは、なんで付き合ったのか思い出せないけれど、付き合ったんだからやっぱりその時には 魅力があったのよね」
彼女は唐突に話し始めた
「でね、いいところが見えてくるのよ。付き合ってみると」
「優しいなとか、もの静かだなとか、物知りだなとか」
彼女はグラスのテオペペを一口含んで続けた
「でね、だんだん自慢したくなるの。友達に。具合悪かった時にご飯買ってきてくれたとか、細かいこといろいろ言わないとかね」
「そうするとね、その時の友達の反応って、どうだと思う?」
「みんなね、へぇいいね。とか言ってくれるの。だからもっと優越感に浸りたくなって聞いてみるの」
「あなたの彼ってどうなの?って」
ここでやっと僕が喋れた
「よくある話だけど、なんて答えが返って来るの?」
でもこれだけ
「そこなのよ。問題なのは。初めの頃はふんふんって聞いてたのね。だけどだんだんその答えに引っかかるようになってきて、今となってはそこが大問題なの」
「いい?聞いてる?ここから大事だから」
「人の心ってだんだんと移りゆくものなのよね。時間が経つと。濁っていた水の中も時間が経つと泥が沈んでクリアに見えるでしょ。そんな感じ」
彼女がもう一口グラスを口に含んだタイミングで僕は聞いた
「だから、どんな答えなの?」
彼女がこくんと小さく喉を鳴らして答えた
「ほとんどの友達が口を揃えて言うのよ」
「そういうの素敵よね、うちの彼もそんな感じかも。って」
「はじめは、へえ、みんなそうなんだ。って思ってたの。でもねクリアな水の中で考えてみるとね、見えてきちゃったの」
「これって特別なことじゃなかったんだって。みんな普通にしていることなんだって」
「私の中で特別だった彼は、平均点な人だったんじゃないかって」
「そうするとね今までかかっていたアドバンテージが消えて、フラットなところから見るようになってくるのよ。そうするとね悪いところが見えてくるのよね。水にたとえると…」
遮るように言う僕の
「いやもう水に例えなくていいし、面白い話というか、これよくある話じゃない」
という言葉をさらに遮り
「ここから面白くなるのよ」
と彼女はもう一杯おかわりをして続けた
「じゃあ水はもういいとして、とにかくいろいろ見えてくるの」
「具合悪かった時に買ってきてくれたご飯は、単に自分がお腹すいたからだったんだなって」
「だって、私が具合悪いのに彼が買ってきたのは、から揚げなのよ。しかもニンニクのたっぷり効いた、噛むと油がジュワッと出てくるジューシーなやつ。」
「今思えばね美味しそうよ。でも具合悪い人が食べられると思う?」
「そう、あとね、細かいこと言わないっていうのも同じよ。自分が喋りたいだけ」
「例えば私が出かけるとするじゃない?そうすると、聞いてくるのよ。どこ行くの?何するの?って」
「私バカ正直に答えるのね。お友達とお買いものとか、映画見てくる。とか」
「で、帰ってくるじゃない?何も聞かないのよ。いいのよ別に聞かなくても。だけど、出がけに聞いたのなら帰って聞いてもいいじゃない?どうだった?とか面白かった?とか」
「私わかったの。結局どうでもいいのよ。そりゃあ、細かいこと言わないわよね。だって興味ないんだから」
「だから私そう思って、ある時に聞いたのね。どうでもいいんでしょ?って」
「そしたらね、こう答えたの」
「君だってそういう時あるでしょ。って」
「わけわかんないでしょ。その逃げ方」
「結局いつもそうなのよ、うまいこと言いくるめてきて、私が謝るの」
「ねえ、それってどうなのよ」
僕はだんだん自分のことを責められているような気がしてきた
「まあいいわ。あなたは彼じゃないんだから」
そしてまだ彼女に理性が残ってることに感謝した
「そして今日よ。神様が私に道を開いてくれたの。いたずらね」
「ほら私、今日こんなすごいバッグ持ってるでしょ」
と見せられた彼女のバッグは、針金が飛び出したり痛そうなびょうが飛び出したりした誰が買うの?といったデザインのものだった。いや少なくともここに買った人がいる
「彼と歩いてたの、そしたらね、このバッグの釣り針みたいのあるじゃない?ほら、ここ」
と言いながら彼女はその釣り針のような針金を弾きながら言った
そもそも、このデザイナーはなぜこんな殺意に満ちたデザインをしたのか
僕はその方も気にはなったんだけど
「このピロンピロンがすれ違いざまに運悪くガラの悪そうな3人の男の人の鼻の穴にひっかかちゃったの」
「どうすれば鼻の穴に引っ掛かるのかわかんないけれど、でも、もうここから神様のいたずらは始まってたのね」
「それはそれはすごい剣幕で怒ってきたのよ。当然よね」
「胸ぐらをつかむ勢いで、すごい言葉で。それは怖かったわ」
「もうね私、怖いやら悲しいやら恥ずかしいやら情けないやらで、今までのいろいろな出来事が頭を駆け巡って彼に助けを求めたの」
「そしたらね、彼どうしたと思う?」
「逃げた?よくある話かもしれないけど」
僕は一番ありがちな答えを言った
「ううん。逃げた方がまだいいわよ」
「私に、お前が悪い謝れ。そこにまず手をついて謝りなさい。って言ってきたの」
「信じられる?」
「私ね、もうね、またさっきみたいに今までのいろんなことが頭を駆け巡って、初めてはらわたが煮えくり返るっていうのを感じたの」
「で、あんまり頭にきたから、相手の男の股間を蹴っちゃったの」
「そしたらね、またここからが神様のいたずらよ」
「その男たちが言ったのよ。お嬢さんちょっとやりすぎちゃったね。だけどね、お嬢さんの気持ち痛えほどわかるよ。仲間のこいつの痛みと同じくれえわかるよ」
「それでね、言うの。俺たちはあんたの彼を許さねえ。って」
「そしたらね彼うろたえて、さっき自慢げに買った高級らしいウィスキーを差し出して、これあげるから許してくださいって」
「もうこうなったら、すべて終わりよね」
「わかったこれはもらっておくって。でも許さねえ。って」
「で連れてかれちゃったの」
「よくある話かな」
一気にしゃべり終え彼女は残りのお酒を飲み干した
「で、その男はいまどうなってるの?」
ぼくがきくと、彼女は、ぼくの耳元で「あっち」と暗がりの方を指しながら囁いた。
店の奥の方へ目をやると、その言葉通り3、4人の人間がもぞもぞなにやら動いている。
暗いのですぐにはわからないのだけど、よくよく目を凝らすと、屈強な男が2人、内股で股間をかばう男が1人、全裸にされて後ろ手に縛られ、この店にあるとは思えない高級なモルトウィスキーをロートで流し込まれている男がバリカンでいままさに坊主頭にされようとしているところだった。
今目の前で起きている非現実を受け止めるには時間がかかった
なに?この店?と見たぼくにマスターは
「よくある話だよ」としわがれ声で答えた。
「ねえ別の面白い話があるんだけど」
「別のところに行かない?」
彼女が言った
「大丈夫あなたのことは蹴らないから」
まあ、もともと僕はその男に縁もゆかりもなく、このあと彼女に蹴られさえしなければいいのだ。
男にはこれからの人生頑張っていただくとして、彼女とぼくがそんな男を置き去りにし席を立とうとした時、マスターがしわがれ声で言った
「おれも、お代はあちらからもらっとくよ」

2017/1/3

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