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松本人志氏のこと~哲学エンジニアのライフヒストリー(番外編)~

これまでの半生を棚卸しようと、下記のようなライフヒストリーを連載しているのだが、巷で話題の松本人志氏がスターダムを駆け上がった時期と重なっていることに気づいた。

私は1993年からライフヒストリーの連載を始めたが、松本人志氏の人気が一つの頂点に達したと見られる『遺書』のベースとなった週刊朝日での連載は、まさに1993年の7月から開始されている。1994年9月に『遺書』と題して単行本化され、200万部を超える大ベストセラーとなった。

いみじくも文春オンラインに『遺書』のレビューが書かれているが、まさに当時の松本氏は飛ぶ鳥を落とす勢いであった。ビートたけし氏がバイク事故に遭ったのが94年の8月で、まさにカリスマの世代交代といった様相であった。

鬱々とした学生時代を過ごしていた私も、大学生協の書店で『遺書』を毎週立ち読みをしていた。もう一つ当時立ち読みをしていた週刊誌はSPA!で『ゴーマニズム宣言』であった。この二つの連載は魅入られたように毎週読んでいた。哲学学徒になるのだとドイツ語や古典ギリシャ語の勉強に疲れては、大学生協で食事をした後に書店で息抜きをしていたことをよく覚えている。週刊文春一強の現在と異なり、週刊誌文化が重厚な時代だった。

H Jungle with t の『 WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント~』が当たって、ダウンタウンが紅白歌合戦に出場したのが95年末である。『遺書』の連載では95年1月の阪神淡路大震災に際して、被災した神戸の風景を悲しんでいた回が印象的であった。

同時代人としては、松本人志氏が社会現象として頂点に達したのがこの頃で、実際『遺書』の連載も95年に終了している。どんなに後ろずらししたとしても、97年11月にバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』の放映が終了するが、その頃ではないだろうか。

同時代人として思うのは、全盛期の松本人志氏は相当に批判を受けていたことである。上掲の紅白歌合戦の映像が印象的であるが観覧席の年輩の方がかなりしらけていたわけで、高年齢の方にとっては理解不能な社会現象であった。横山やすしの批評を借りれば「チンピラ」の兄ちゃんのようにしか見えなかったであろう。

また、全盛期の松本氏は、誰よりもナンシー関氏の批評を恐れていたと記憶している。メディアに批評精神が生きていたのだ。

松本氏は当時の若い世代にとってのカリスマであったとはいえるが、若い世代の中にも、いじめを想起させる芸風は相当に反発があって、全盛期にあってもあの芸風は受け付けないという意見は、マイノリティとは言えないくらいにあった。メディアの中でも、彼を絶賛する風潮と共にその芸風を批判する記事も一定数あったと記憶している。

皮肉にも、彼が全盛期の勢いを失い、M-1の審査員を務めるなど大御所になってからの方が批判の声は少なくなって、それに呼応して権威化が進んでいった。

メディアの劣化という要素が大きいのだろう。収益性の高いコンテンツを育てることができず、2023年になっても視聴率の稼ぎ頭である松本氏への依存は深まる一方であった。

政治の劣化という要素もあるだろう。ネットではこういった動きへの批判は相当あったが、マスコミではほとんど批判が見られなかった。

私の個人的な印象になってしまうが、2000年前後だったと思うが、彼の全盛期が過ぎてから坊主頭になった時期がある。この頃からすっかり人相が変わってしまった。同時代人の感想としては、社会現象としての松本氏はこの頃に終わったと思う。

その後にM-1の審査員や大喜利番組などお笑いプラットホームづくりや、映画を作ったり、ワイドナショーにコミットしたりしたが、エンタメ業界はともかくとして、社会現象としての影響力は皆無に近かった。

とりわけ、ワイドナショーに関しては以前からネット世論の風当たりが厳しく、もはやかつてのカリスマの見る影もなかった。しかし、それに反比例して権威化が進んで、マスメディアでの彼への批判はダブーとなっていった。皮肉にも、今回が久々に松本氏の問題が社会現象として注目されることとなっている。

21世紀になってから「批判からは何も生まれない」というフレーズがまことしやかに語られることが多かったが、批判は創造の源なのだと改めて痛感する。人権侵害や誹謗中傷は論外だが、権力や影響力の大きい人物・意見への公的な批判は重要である。もちろん批評する側にも力量が問われて、返り血を浴びる覚悟も必要だ。

その一方で、今はネットによる炎上が日常化している。エコーチェンバー現象などSNS装置がもたらす分断や言論活動の弊害に対する指摘は山のようにある。いわゆるPC(ポリティカル・コレクトネス)やキャンセルカルチャー、そして日本では自粛警察の問題もあり、それらを扱う批判精神の涵養という新たな課題も発生している。

批評の困難さはこれまで以上に高まっていて、そもそも元来の意味での公的な言論活動は成り立つのかという危惧すらも高まっている。

我田引水になり恐縮だが、対面による対話的な哲学カフェのような活動が必要なのだと考えている。哲学カフェに関してはメンタルケアの伝統も継承している点があり、批評の要素を取り込むのは難しい一面はあるが、ネットのが抱える諸々の難題に抗するには、ラポールを重んじる世界を形成することも必要である。

後世に良いものを残したいと信じて活動を続けていきたい。


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