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デイヴィッド・チャーマーズ『Reality +』「第2章 シミュレーション仮説とは何か?」サマリー

「アンティキティラ島の機械」は古代ギリシャで発明された、人類史上初と見られる天体シミュレーターである。

しかし、このようなシミュレータは複雑な機構なので、20世紀半ばのコンピュータの時代になるまでは発展しなかった。

ブレッチリー・パークの暗号解読で著名なアラン・チューリングが初期のコンピュータを開発して以来、スタニスワフ・ウラムなどが開発したENIACなどがあるが、アルゴリズム原理でビットという最小単位を用いて計算している点は現代と共通している。

それ以来、長足の進歩で自然科学のみならず社会科学においてもコンピュータで様々なシミュレーションが行われているが、脳や宇宙のシミュレーションができるレベルにはまだ到達していない。次世紀までにはかなり正確なシミュレーションができるようになるかもしれないが。

しかし、脳や宇宙についても、かなり精巧なシミュレーションができるようになるとするならば、私たちはシミュレーション世界に住んでいるのではないかという仮説は単なるエンターテイメントではなくなってくる。

可能世界と思考実験

シミュレーションには下記の4種類がある。

1.できるだけ詳しく現実の特殊な側面をシミュレーションする

2.現実に起こりうる物事をシミュレーションする

3.現実には実際に起こらなかったが、起こったかもしれない過去の可能性をシミュレーションする

4.現実とは似ても似つかない可能性をシミュレーションする

つまり、実際の宇宙のシミュレーションをするだけではなく、膨大な数のありうる様々な宇宙についてもシミュレーションをするのである。哲学者はそれらを可能世界と呼んでいる。

他方、コンピュータを使わずに、自分の頭で可能世界を考え出すことを思考実験と呼んでいる。前章で挙げたプラトンの洞窟の比喩や胡蝶の夢などはその一例である。

SFにおけるシミュレーション

コンピュータによるシミュレーションシミュレーション仮説という2つのアイデアが歴史上はじめてSF小説において同時に現れたのが、デイヴィッド・ダンカンの『The Immortals』である。

それを受けてコンピュータによるシミュレーションのアイデアを最も深く発展させた作品が、Simulacron-3であり、それが映像として結実したのが、『あやつり糸の世界』であり、マトリックスよりも先にバーチャルリアリティの映画として製作されている。

その後に製作された映画『マトリックス』は最も著名なVR作品として知られているが、シミュレーション仮説という概念は、マトリックスによって触発されてニック・ボストロムが著した『私たちはコンピューターシミュレーションに住んでいますか』(2001)という論文に由来する。

シミュレーション仮説

このシミュレーション仮説において、様々な区分を想定することができる。まず、シミュレーションの外にある純粋でない存在と、その中にある純粋な存在という区分である。例えばマトリックスにおける主人公であるネオやトリニティは純粋でない存在であり、その中に没入する登場人物は純粋な存在である。他方、両者が交わる混合シミュレーションというケースもありうる。

また、グローバルシミュレーションローカルシミュレーションという区分を設けることも可能である。短期的に見れば後者の方がコンピュータの性能が低くても実現する可能性が高く見えるが、その外のシミュレーション世界とどのように交流することができるのかという難問を抱えている。前者は長期的に見れば、その難問を回避することができる。(第24章参照)

その他にも、一時的/永久的、例外を許す/許さない、閉鎖的/開放的シミュレーションなど様々な区分を想定することができる。

あなたがシミュレーションの中にいないと証明することはできるのだろうか?

私たちがシミュレーションの中にいないと証明することは容易ではない。

詳細は第15章など本書後半で議論するが、『マトリックス』において純粋でないネオのような存在であってもその脳はシミュレーションにつながれていて、自分自身の力ではそのシミュレーション装置を起動することができなかったことを思い起こしてほしい。つまり、自分の意識がどこまで自己に由来するのかを証明することが難しいからだ。

あなたがシミュレーションの中にいると証明することはできるのだろうか?

それでは、その反対の証明は可能なのだろうか。これも容易ではない。

どれだけ有力な証拠があったとしても、魔法使いが私たちをだましてシミュレーションの中にいると誤解させて、シミュレーションされていない魔法の世界へと誘導しているという可能性も想定されるからである。(第3章参照)

シミュレーション仮説は科学的な仮説だろうか?

カール・ポパーが言う意味での科学的な仮説をシミュレーション仮説に求めることは不可能である。実験によって得るデータで、シミュレーションの中にいることもいないことも証明することはできない。

科学的に首尾一貫はしていないが、哲学的観点に立てばシミュレーションの中にいるとみなすことはできる。詳しくは第4章で議論するが、半ば哲学的に、半ば科学的にというあいまいな仕方になるが、シミュレーション仮説を議論することは有意義である。

シミュレーション仮説とバーチャル世界仮説

コンピュータによるシミュレーションとバーチャル世界はここでは同じ意味で使う。パックマンやインベーダーなどの古典的なバーチャルゲームは双方向的なコミュニケーションが発生するわけではないが、コンピュータによるシミュレーションではある。

本書の論点を明確にするためにも、シミュレーション仮説において、どっぷりとバーチャル世界に没入する点を強調したい。現在標準的となっているVRヘッドセットを装着してバーチャル世界に没入する点を踏まえれば妥当であろう。

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